「歩く」から「走る」へ
「いい場所がありますよ」
北村が提案したのは、マンション内にある会議室だった。設置されている長机や椅子を端に寄せれば、8メートルくらいは確保できそうだった。タイルの表面に毛足の短い絨毯のような加工を施してある床も、これまで自宅のコルクマットかフローリング、新豊洲のトラックしか経験していなかった私には、うってつけの環境だった。シューズの靴底と床の材質にはかなり相性の良し悪しがあるのだが、「街を歩く」ことを最終目標にするのなら、どんな材質の上でも歩けるようになっておかなければならない。
「乙武さん、板バネ義足には興味がありませんか」
沖野氏からそう尋ねられたこともある。板バネはアスリートのためのもので、自分とは無縁だと思っていた。ところがそのときの私は、そんな彼の言葉にウキウキと聞き入ってしまった。
「パラ陸上の大会に板バネを履いて出場した場合、
沖野氏の言葉に、私は「え、日本新記録?」と大声で反応してしまった。ついつい色気を出そうとしてしまうのが私の悪い癖だが、それくらい「歩く」ことに余裕が出てきたことの表れかもしれない。
7月11日、新豊洲のブリリアランニングスタジアムを訪れた。クラウドファンディングのサポーターを対象に義足練習参加会を行って以来、4ヵ月ぶりのことだ。
この日のテーマは、新しくなったシューズの靴底とトラックの相性を確かめることだった。ランニングシューズということもあるのか、靴底はかなり地面を噛むような構造になっていたため、沖野氏がヤスリで削って、適度に滑りをよくする調整を行ってくれた。
胸を張って遠くを見ると歩きやすいということがわかったのも、この日の成果だった。以後、北村には真正面ではなく45度前方に立ってもらうことにした。