出産は「親の身勝手」か?人工授精と倫理をめぐる話題作『夏物語』

著者の川上未映子さんにインタビュー
川上 未映子 プロフィール

またAIDについては、例えば「不妊」は以前なら女性中心の問題でしたが、この10年ほどで「男性不妊」も一般的に認知されてきました。実はAIDも60年以上の歴史があって、これまでに2万件近くが実施されているといいますが、実態は明らかではありません。つまり、妊娠や出産の現場はどんどん変化しているのに、本当のところはほとんど語られていないんです。

家父長制のような、古い社会構造や制度も横たわっています。性別を問わず、そこに縛られている私たちは、無意識のうちに他人に過酷なことを強要し、その人たちの感情を踏みにじってきているのかもしれません。この問題から目を逸らすことはできないと思います。

今は「身体と普通に向き合う」時代

―作中で夏子が知り合うAIDで出生した善百合子は、出産は親の「身勝手な賭け」だと言い、「どうしてこんな暴力的なことを、みんな笑顔でつづけることができるんだろう」と発言します。

物語としては、人々を納得させるものより人々の意識を揺さぶるものにしたかったんです。ぜひ、多くの男性にも本書を読んでもらえたらな、と思っています。

これまで妊娠や出産、介護といった生死の現場では女性が中心で、そうした「世話」は女性の役割だとされてきましたよね。しかし、そんな社会モデルはもう総崩れです。男性も生活をするうえで、自分の身体や他人の身体とに普通に向き合う時代になっています。

―中盤からは、生殖医療についての多様な意見が出てきます。編集者の仙川涼子は「産まなくてよかった」とチャイルド・フリー論(子どもを持たない人生のほうが豊かだとする考え方)を。シングルマザーで夏子と同業の遊佐リカは、AIDを応援します。そのうえで夏子は「産む」選択をしていきます。

今回は多くの人の声と意見を、ポリフォニー(多声音楽)のように多層化していく試みをしました。小説は、オピニオンのように明確な言葉で正しさを伝えるものではありません。基本的に、もっと曖昧でダメなもの(笑)。だけど小説には、いくつかのシーンやセリフが長い時間を経て残り続けていく可能性があるんですよね。

 

第二部は2016年の夏から2019年の夏までの物語です。この中で交わされている生殖医療や倫理についての色んな意見、登場人物たちのいる場面が何らかのかたちで残るといいなと思っています。体内でゆっくりと溶けていくタイムリリースサプリメントのように、この小説も後から効きめがありますように、と願っています。

―生と死をテーマにした本作の後には、どんな作品をお考えでしょうか。

次作のテーマは、信仰と宗教になりそうです。こちらも以前から資料を集めていて、今回よりもさらに長くなるかも。宗教としっかり向き合うのは私の念願なので、今回の『夏物語』は原稿用紙で約1000枚でしたが、次作は2000枚ぐらいになるかもしれません。(取材・文/窪木淳子)

『週刊現代』2019年9月14・21日号より