日本人の歪んだ「人権」感覚…護憲派も法曹界もその理解で大丈夫?

自衛権行使の口実にはなりません!
伊勢崎 賢治 プロフィール

必要最小限度なら許される?

政府の方針がこうであることは大変深刻な問題であるが、それを上回る悲劇は、「人権」の守護神であるはず日弁連が、「人権」を国家の「武力の行使」が利用することに、何の警戒感も示していないことだ。

上記の「平和的生存権および日本国憲法9条の今日的意義を確認する宣言」にあるように、自衛権が人権にリンクされることを歓迎しているばかりではなく、そうすることによって、逆に、国家の暴力が「自制」されるという楽観さえ伝わってくる。

「自制」。つまり、歴代の政府解釈の【必要最小限度】だ。

【必要最小限度の「武力の行使」は許容され】ると、【必要最小限度】が、9条の自衛権の行使の、もう一つの口実になっている。これも国際慣習法に対する重大な抵触である。国連憲章第7章第51条をもう一度読み返して欲しい。【必要最小限度】なんて、どこにもない。

加えて、必要最小限度という理由で「武力の行使」を”許容”する国際法は存在しない。あるのは、自衛のための「武力の行使」を開始した”後”の、その行為を必要最小限度に制限するためのルールと、それを遵守する義務である。

そのルールが「交戦法規」。通称、jus in bello(ユス・イン・ベロー)。

開戦法規で定められた口実によって開始された戦闘の中でやってはならない禁止行為(特に一般の民間人の人権侵害に最大限の配慮を置く)を定めるものである。現代では「国際人道法」と呼ばれる、一般によく聞くハーグ条約やジュネーブ条約、そして化学兵器禁止条約など使用してはいけない武器の合意を含む、歴史的に蓄積されてきた条約の総称である。

その違反が、一般に「戦争犯罪war crime」と認識される。国連憲章で「戦争」は厳禁されていても、「戦争犯罪」は、全ての国家の行いを制限すべく、健在なのである。

 

日本は「無法国家」

重要なのは、国際人道法は、その違反行為である戦争犯罪を、真っ先に起訴する責任と、それを可能にする国内法の整備を、各主権国家に課すということだ。

当たり前だ。戦争犯罪者を十分な強制力を持って裁く国際司法を、人類は、いまだ持ち合わせていないのだ。

ところが、日本は、世界で唯一、自らがおかす戦争犯罪を扱う法整備を欠く、「無法国家」なのだ。戦争犯罪を、”想定”すらしない。(詳しくは:南スーダン自衛隊撤退ではっきりした日本の安保の「超重大な欠陥」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51311

何故か?

「戦争犯罪」とは、日本が「戦争」をするという前提に立たないと、それを起訴する法整備はできない。すると、文面上「戦争」を否定する9条2項と真っ向から矛盾する。「法整備をしよう」→「じゃあ、戦争するのか?」という水掛け論が、政局を支配してきたからだ。

加えて、「戦争犯罪」と言った途端、「軍法会議? 戦前への回帰か!」というメンタルブロックが、政治だけでなく国民を支配している。国際人道法への誠実な対処が、このようにミスリードされてきたのだ。