日本人の歪んだ「人権」感覚…護憲派も法曹界もその理解で大丈夫?

自衛権行使の口実にはなりません!
伊勢崎 賢治 プロフィール

職業柄、法曹界に知人が多い。自衛隊イラク派遣違憲訴訟で頑張っておられる方々や、特に、日米地位協定問題に関する本を出してからは(『主権なき平和国家』布施祐仁氏との共著) 、在日米軍基地の騒音訴訟の弁護団のみなさん。その地道な努力に、いつも頭が下がる思いをしてきた。

そんな中、日弁連のあるシンポジウムのことで、数名の関係弁護士の方々を僕の自宅にお迎えしたある日、9条と自衛隊のことが話題になり、そのお一人の口から出た言葉が…。

「9条が許す自衛権の行使は、13条の幸福追求権に限定されるから、必要最小限な武力の行使であり、いわゆる戦争にはならないし、当然、自衛隊の行動もそのように制限される」

僕は思わず息を飲んだ。その、あまり屈託のない表情とのギャップに眩暈を感じながら、

「でも、それって、殺人事件を口実に自衛権が行使できちゃいますよ」

と指摘すると、ポカンと言葉を失っているので続けて、

「そんなに簡単に戦争が仕掛けられないように国際慣習法が発展を続けているのでしょう?」

と言うと、一同がハッとした様子だった。

 

日本政府の解釈

歴代の日本政府は、憲法13条の幸福追求権、ならびに憲法前文の平和的生存権が、9条の下で日本が行使できる自衛権の根拠としてきた。

その経緯は、以下の防衛省のリンクで簡潔にまとめられている。https://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html(ここには、安倍政権の”閣議決定”後、新たに加わった「集団的自衛権」のための「武力の行使」新三要件の記述があるが、そんなことは、ここではどうでもいい。ここでは、それ”以前”を問題にしている。加えて、押し並べて日本人には国際法でいう「集団的自衛権」に根本的な誤解がある。詳しくは拙稿参照:いまさら聞けない「集団的自衛権って何ですか?」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48150

歴代の日本政府は、【憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えますが】と断った上で、国民の幸福追求権と平和的生存権は、日本の【国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている】から、【憲法第9条が、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されません】としてきた。

だから、【外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に】、【国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として】、【必要最小限度の「武力の行使」は許容され】る。

これが、(全ての武力の行使を禁じているように見える)9条が、唯一禁じないと解釈される日本の「9条の自衛権」である。

つまり、「9条の自衛権」は、国民の一人一人に保障するべき幸福追求権と平和的生存権を(加えて【必要最小限】も。これについては後述する)、”唯一の口実”とする。

お分かりだろうか? 個と国家という帰属先の違う2つの”権”が、協働している。

幸福追求権と平和的生存権は個人に帰属する。それに対して、自衛権は国家に帰属する。逆に言うと、9条は、個人に帰属する権利を口実にしない限り、国家としての日本の自衛権を正当化できない。

人権は自衛権行使の口実にはならない!

ここで問題なのは、この政府”以外”の解釈である。

人権の守護神であるべき日弁連は、「平和的生存権および日本国憲法9条の今日的意義を確認する宣言」と謳い、日本のそれが、1948年に国連総会で採択された世界人権宣言を”先駆する”ものとしている。

つまり、日本国憲法の幸福追求権と平和的生存権は、世界人権宣言でいう「人権」だとしている。(https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2008/2008_1.html?fbclid=IwAR2Yk6Y8RMb3bfJq5xHmMWTzBz6RS9F3EGq6rWBrwgbzFf8zX4hqMlyP8K0 )

上記の歴代の日本政府による平和的生存権と「9条の自衛権」との関係の解釈を承知で、日弁連がこれを言うのなら、それは大変な深刻な問題である。