「推し研究者」「推し学者」をつくったら、人生がときめいた話

研究の「ファン」になる喜び
工藤 郁子 プロフィール

こうして見ると、学術環境の構想は、(経路依存的ではあるが)かなり多様である。そして、専門性や民主性の捉え方に左右され、ガバナンスの仕組みが構築されてきたことがわかる。なお、近代以降の大学と国家と自由競争主義の関係については、山口裕之『「大学改革」という病』明石書店(2017年)、福井憲彦編著『対立する国家と学問』勉誠出版(2018年)などを参照されたい。

 

研究者と「青い鳥」

「ファン文化」の話に戻ろう。推しの研究者をつくることは、〈専門性 vs 民主性〉や〈特権 vs 平等〉のバランスを再構成する、ささやかな実践のひとつだ。

地味で堅実な研究の魅力を感知できるファンたちは、計量的な指標を過信しにくいだろう。また、研究コミュニティの周縁に位置するからこそ、研究者たちが内輪にこもりすぎないように開いていく役割を果たせる。研究内容を適切に評価できる納税者を増やし、よりオープンなものにしていければ、アカウンタビリティは向上できるのだ。

それは、周縁に位置する人々をアクターとして可視化し、「探究の共同体」として手広くまとめることで、〈専門性 vs 民主性〉などの対立構造を組み換えて調和を目指すという構想につながる。

より多くのファンたちが研究成果を享受し運用して社会的便益を拡大するなら、費用対効果が向上する。公的資金投入の正当性を強化できる。変革期を迎えた日本の研究環境は厳しい。しかし、縮小均衡の施策に終始するのではない道も、きっと開かれている

そして、筆者がファンやサポーターと呼ぶ存在は、実は、新奇な存在ではない。先ほど「可視化」と述べたとおり、昔から研究者の傍にいた人たちだ。

すなわち、研究成果を享受することで知を支える読書家、勉強家。研究者と伴走し知を広める実務家としての、編集者、出版者、校閲者、書店員。研究者とチームを組んで知を整序し提示する、ライブラリアン、アーキビスト。研究者の成果物を参照しつつ知を生産する、翻訳者、リサーチャー、ジャーナリスト、文筆家、ブロガー。知を非専門家に伝えて架橋する、ライター、科学コミュニケーター。自認や自称をしていないだけで、「探究の共同体」「知の基盤」を支える人々の層は厚く、豊饒だ。

歴史的に見ても、大学の外(アカデミーやサロンなど)で活躍した知識人、科学者、パトロン、好事家などの命脈は連綿と続いている。
 
繰り返しになるが、研究の担い手は、花形プレイヤーたる研究者に限られない。研究という「探究の共同体」に貢献する手段は、いろいろある。推せる研究者を見つけ、愛やときめきを形で示すだけで、十分な意義がある。気負う必要は全くない。

さらに言えば、ファンのあり方や、推しとファンの関係は固定的なものではない。ファンの中でトップに君臨する「トップオタ」がやがてアイドルのプロデュースに乗り出すように、アイドルへの憧れが高じて自身もアイドルになるように、様々な可能性に開かれている。

というわけで、手始めに、14人(と筆者)の生きざまが刻まれている『在野研究ビギナーズ』から、推しメンを探してみるのはいかがだろうか。

※ 特設ページ http://socio-logic.jp/events/201912_fair.php