「推し研究者」「推し学者」をつくったら、人生がときめいた話

研究の「ファン」になる喜び
工藤 郁子 プロフィール

ただ、「測りすぎ」が進んでいるのは、専門家集団の裁量判断がエリートの既得権益として批判され、お手盛りではないかと疑われているからだ。できるだけオープンにすべきという判断のもとで、画一性や明確性が重んじられ、計量化やプロセスの標準化が進められている。つまり、その背後にある価値観は、民主性や平等性であり、エリートや特権への懐疑である。それらはゆえのないことではなく、単純な棄却は難しい。

もっとも、科学史学者のポーターは、計量評価への傾倒を、専門家の判断への信頼に代わって数値への信頼が台頭したものと分析した。そして、数値の追求は、ほとんど権威を持たない官僚に、権威を貸し与える結果をもたらす(セオドア・M・ポーター著、藤垣裕子訳『数値と客観性――科学と社会における信頼の獲得』みすず書房(2013年))。

そう考えてみると、実は、納税者にとっては権威の所在が移っただけという構造になってしまっている。この点は、もう少し目を向けられてもよいかもしれない。

 

民主性と専門性の距離

行き詰まりを見せた構想に関して、視野を広げるために、少し歴史に目を向けてみよう。実は、研究者コミュニティ(とりわけ大学)と社会の関係は、政治制度のあり方と緩やかに連動している

中世ヨーロッパにおける大学は、組合(ギルド)の一種であり、利益団体としての側面があった。君主や教会と対峙し、それぞれから財政的支援を受け、また、人材を輩出しつつも、隷属を巧妙に避けて自律を確保していた。

その後、権力・権威が多元的であった封建制から絶対王政へと移行し、さらに、主権の担い手が王権から国民に移動して近代主権国家が生まれた。それにともない、自治権を含む大学の特権は、解体の対象となった。

例えば、市民革命期に封建制をかなり徹底的に解体したフランスでは、大学は国家組織の一部になった。他方、封建的な社会構造を温存したイギリスでは、大学は社団の一種として扱われ、教師と学生の共同体になった。

フランスとイギリスの中間的な姿になったのがドイツであり、国家によって大学が設立・維持・管理されるものの、一定の自治を享受し、教授会が大学の諸権限の中心的担い手となった。封建制・身分制から距離をとったアメリカでは、民間有志が法人を設立する形で大学ができ、経営陣としての理事会と教授団が並立する大学組織が発展した。

そして日本では、近世における私塾の命脈を温存しつつも、西欧近代型の大学が導入された。つまり、近代国家を形成するためのツールとして国家主導で帝国大学が設立されたが、大学設置主体は国に独占されず、私立大学も重要な発展をみた(以上は、山元一「大学の自治」『論点探求憲法 第2版』弘文堂(2013年)pp.198-200を参考にした)。