「推し研究者」「推し学者」をつくったら、人生がときめいた話

研究の「ファン」になる喜び
工藤 郁子 プロフィール

実は、研究とファン文化は親和性が高い。カンティアン、ケルゼニアン、ハセビアンなどの呼び名があるように、偉大な先達のフォロワーからはじまって研究の道に入る者もいる。もちろん、読書家や勉強家として研究者に私淑する人も多い。

そのため近刊の共著『在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活』では、ファン文化のメタファーを用いて「研究」を語った。

「研究者ファン文化」の構築は、何をおいても、参加している人の喜びが増大するという点で意義がある。だが、それだけに止まらない意義もあると思う。以下では、その意義や注意点、そして、ファン文化のメタファーで語るからこそ見える学術研究の姿について書く。

「本を積む」ことは徳を積むこと

研究者を推すことは、社会的意義がある。学術出版を支えることがそのひとつだ。

出版業界は苦境にある。学術書も、ある程度売れなければ次の本が出ない。その最低限を維持できる目安として、1冊あたりの出版部数1500部、出来高(単価×販売部数)500万円という数字が示されている(レポート:東京堂ホール・トークイベント「哲学者と編集者で考える、〈売れる哲学書〉のつくり方」)。

人文・社会科学系では、研究者コミュニティだけでこの数字を達成するのは、かなり厳しいだろう。しかし、そこにファンが加われば、購入者数が増えて持続可能性が高まる。

 

ほかにも、若手の成長を見守ることで、学術の中長期的発展に寄与する点でも意義がある。例えば、SNS上には「学位論文等執筆推進委員会」なる組織があり、筆者も委員を務めている。筆者自身もまれに論文を書くので互助会としての側面もあるのだが、勉強会の開催、進捗の確認、滋養のある食品や甘味の差入れ、心身のケア、神頼みなど、現行法令と研究者倫理の許す限りにおいて、アーリーキャリアな研究者たちの論文執筆を明るく推進している。

前掲の『在野研究ビギナーズ』編著者である荒木優太は、現代ビジネスへの寄稿で、以下のように「学問を愛する厚い層」の重要性を指摘した。「研究の花のようにみえる論文は、それを支え、さらには種を受けとめ、次の花を準備する土壌、コミュニティ/コミュニケーションがあって初めて安定化する」「研究という営みにとって、研究者というプレイヤーよりも、もしかしたらオーディエンスのほうが本質的な役回りを果たすのではないか」

ファンは、研究を享受するだけの消費者とは限らない。プレイヤーでなくともサポーターとして、研究という営みに貢献できる。だから「本を積むことは徳を積むこと」と唱えつつ、筆者は今日もまた本を買う。