言論統制の「最前線部隊」が、講談社の雑誌を乗っ取ろうとした過去

大衆は神である(67)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業家・野間家が歩んできた激動の日々と、日本出版界の知られざる歴史を描き出す大河連載「大衆は神である」。

言論統制の最前線部隊は講談社を改革しようとしていた。ある雑誌を乗っ取り、内容を一新するというものだ。彼らは具体的にどのようにして講談社を追い込んでいったのか――。

 

第七章 紙の戦争──毒饅頭(3)

言論統制の最前線部隊

大東研究所の所員たちは午前中、赤坂の山王ビル4階の事務所にたむろし、午後は三宅坂の陸軍省の嘱託室に行き、各雑誌の内容をチェックしたり、出版統制の原案を作ったりしていた。

鈴木庫三少佐の雑誌指導は、彼らの報告に基づいて行われるのだから、彼らは言論統制の最前線部隊である。講談社の出版部長だった天田幸男の証言。

〈あるとき僕がひょこっとその(嘱託)室に入っていくと、連中が「日本の出版界は二色に分かれている。君はわかるか」と言うので、「どういう二色か」と訊ねたら「それは、一つは講談社色で、もう一つは岩波色だ。岩波色というのは、どうも国家というより世界ということを言っているように思う」という意味のことを言っていたことがある。そうやって各雑誌、出版物を調査していたわけです。庫三さんが雑誌の批評をやって編集者をいじめた原因は、あの嘱託連中がいろんな雑誌を読んじゃ、みんな報告していたからであって、それをもって庫三さんがガンとやるわけなんだ。そういう大事な嘱託なんだ。ところが、松村(秀逸。陸軍大佐)さんが(昭和14年12月に)情報部長になるとすぐ連中の経費を削ってしまった。そこでその経費をどこかで出さなくちゃならんというので、(庫三さんが)いろいろ物色した。主婦之友とか岩波とか中央公論、新潮などを探ってみたけれども、どこも受け付けやしない。結局、講談社は社長も亡くなっているし、いちばんくみしやすしと睨んで言い寄ってきた〉

天田が言うように、鈴木少佐が出版界に強い影響力を持ったのは、彼のアンテナとなって情報をキャッチする嘱託たちがいたからである。ところが、松村が情報部長になってから嘱託経費が削られることになったため、鈴木は嘱託の再就職先を「物色」せざるを得なくなった。