日本人女性初金メダリスト前畑秀子の「戦い続けた人生」

『いだてん』で上白石萌歌が熱演
田中 ひかる プロフィール

負けたら日本に帰れない

ヒトラーが主導したベルリンオリンピック(1936年)は、国威発揚の場となり、日本選手団も「負けたら日本に帰れない」という空気に包まれていた。

プレッシャーのあまり、決勝前夜なかなか寝付けなかった秀子は、持っていたお守りを丸めて水で飲み込んだという。このエピソードは、『いだてん』では銀メダルを獲得したロサンゼルスオリンピックの決勝前夜の出来事として描かれている。

果たして前畑秀子は、200メートル平泳ぎの決勝に出場する。このときのラジオの実況中継が、有名な「前畑がんばれ!」である。NHKアナウンサーの河西三省は、「がんばれ!」を20回以上、「勝った!」を10回以上も連呼した。その興奮が、秀子の奮闘を物語っている。『いだてん』では、河西アナウンサー役をトータス松本が演じる。

2位のドイツのゲネンゲルに0.6秒差で勝ち、日本初の女性金メダリストとなった秀子だが、「国家」を背負うというプレッシャーはいかばかりだったろう。ベルリンからの帰途、マラッカ海峡を通過する船の上で、「もし優勝できていなかったら、私もここで身を投げていたかもしれない」という言葉を漏らしている。

「私も」というのは、4大大会で5回の4強を達成し、世界ランク3位まで上りつめたテニス選手の佐藤次郎が、2年前、デビスカップ遠征の帰途、同じマラッカ海峡で投身自殺を図っていたからである。

 

金メダル獲得とは別の感動

当時、田畑政治が記者として勤めていた東京朝日新聞は、「前畑嬢」の活躍を華々しく報じた。

「次は結婚だ 喜ぶ校長」という見出しのあとに、秀子の親代わりを自認していた女学校校長の次のようなコメントが掲載されている。

「よくやってくれました、こんな嬉しいことはありません、これで残された問題は結婚です、あの娘も二十三になりましたから帰って来ましたら親に代って立派に結婚をさせ将来幸福に暮らすやうにしてやりたい、私があの娘への最後の心づくしです(原文ママ)」