日本人女性初金メダリスト前畑秀子の「戦い続けた人生」

『いだてん』で上白石萌歌が熱演
田中 ひかる プロフィール

「なぜ、金メダルをとってこなかった?」

ロサンゼルスオリンピック(1932年)を念頭に、日本水泳陣の強化を図っていた水泳連盟理事の田畑政治は、新星前畑秀子に期待をかける。

実はこの前年の1931年に、秀子は両親を相次いで亡くしていた。2人とも脳溢血だった。秀子は退学し、豆腐屋を継ぐことも考えたが、兄が結婚して店を継ぐことで落着した。

ちなみに『いだてん』では、秀子の両親の死はさらりと触れられるのみで、湿っぽさは一切ない。亡くなった両親が秀子の夢枕に立つというシーンもあったが、まるで夫婦漫才のようだった。

ロサンゼルスオリンピックの200メートル平泳ぎ決勝に出場した前畑秀子は、自身がもつ日本新記録を6秒も縮めた3分12秒4という記録で銀メダルを獲得した。1位のオーストラリアのデニスとは、0.1秒差だった。両親の死を乗り越えての銀メダルだった。

この結果に秀子本人はいたって満足し、引退を考えたが、周囲がそれを許さなかった。

 

帰国後の祝賀会で秀子は、東京市長の永田秀次郎に「あなたはなぜ、金メダルをとってこなかったんかね?(中略)あなたは日本記録を6秒もちぢめたといいたいんだろう。でもそのくらいなら、なぜもう10分の1秒ちぢめて、金メダルをとってくれなかったんかね? わたしはそれがくやしくてくやしくてたまらないんだよ。(中略)いいか、前畑さん、このくやしさを忘れずに、4年後のベルリンオリンピックではがんばってくれよ」(※)と言われてしまう。

『いだてん』では、「あとたったの0.1秒だよ」と無神経にも強調する永田(イッセー尾形)に、田畑が食って掛かるシーンがあった。

周囲の期待を背に、次のベルリンオリンピックへの出場を決心した秀子は、一日2万メートル泳ぎ込み、オリンピックの前年には200メートル平泳ぎで3分3秒6という世界記録を樹立した。