なぜ差別はしちゃいけないのか

ここまでで、「差別」の定義を今一度明らかにしてきました。
「嫌いになる自由だってあると思う」
いよいよ、この主張についてお話しましょう。この記事に対してだって「嫌いになる側の自由を侵している!」「逆差別だ!」と反論する人がいるだろうことは予想がついています。

まず、貴重な時間を割いて、ここまで読んでくれてありがとうございます。
「嫌いになる自由だってあると思う」そう信じているあなたに本来読んでほしい内容は、ここからです。もうしばらくお付き合いください。

日々の人間関係における「この人は何となくイヤだ」「この人とは合わない」という感情は、仕方のないものです。それは個人間で、どうぞご自由に。
しかし、外国人、身体障がい者、セクシュアルマイノリティ……会ったこともない大勢の人に嫌悪感を向けるとは、どういうことか。

結論から言います。

もしもあなたが「嫌いになる自由」を主張し、特定の人たちを攻撃していると、あなたの生活が危険にさらされます。

どういうことか、シミュレーションしてみましょう。

「ゲイを嫌いになる自由だってあると思う」
仮にその理論を通すなら、ゲイの僕にも、異性愛者を嫌いになる自由がありますよね。あなた方の自由だけが尊重されて、僕らの自由は認められないなんて、そんな虫のいい話はありませんよ。
街中で男女で手つないだりしないでください。見ていて不快なんで。

(※これはシミュレーションです。筆者は不快に思いません)

どうですか、これが差別です。
理不尽ですよね。ムカつきませんか?
差別って、腹が立ちませんか?
会ったこともないのに嫌悪感を向けてくる僕のこと、一発殴ってやりたくなりませんか?

今のシミュレーションであなたが抱いた怒りを、差別を受けた人たちも同じように抱いています。会ったこともない相手に向ける嫌悪感は、想像の何倍も大きな力で憎悪を生むのです。

「ゲイを嫌いになる自由だってあると思う」
もしもあなたがこの先何年も、そんな主張をし続け、「ゲイは嫌いだ」と公言し続けたとします。
僕たち同性愛者が、ただおとなしくしていると思ってるんですか?
いいえ、我慢なりません。理不尽だ。許せない。あなたが憎い。黙らせてやりたい。SNSで名前や顔を隠していたって、その気になれば、あなたの住所を調べ上げて、何人かの仲間たちと結託し、自宅に押しかけて、何らかの方法であなたを黙らせることだってできるかもしれないんですよ。
それが「嫌いになる自由」を掲げることで、あなたが背負うリスクです。その覚悟が、あなたにあるんですか?

(※これはシミュレーションです。筆者の本意ではありません)

以上、これはあくまで、例えばの話。
手荒なマネをしたことを許してください。