不快感の対象を間違えていませんか?

「イヤなものをイヤって思うのは仕方なくない?」

これもまた、差別について議論されるとき、必ず見受けられる意見です。
確かに、苦手な食べ物のように、どんなものをイヤと思うかは、人それぞれ。それは生理的なもので、ある程度は仕方のないことかもしれません。問題は、「何を」イヤと思っているか、です。

最近、こんな発言を目にしました。
「以前、同性愛者の人に付きまとわれたことがあるから、同性愛者と関わるのはマジで勘弁!」
僕は、同性愛者の一人として言いたい。
「僕はまだ、あなたに何もしてませんよ」と。

「その人と僕は、別人です。なぜ僕がその人と同じことをすると決めつけるんですか?」と。

確かに、同性愛者にも韓国人にも、イヤな人はいます。異性愛者にも日本人にも、イヤな人がいるようにね。

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誰かにイヤなことをされたときの不快感は、その相手に、個人に向けられるべきであって、その人と同じ国籍や同じセクシュアリティ、同じ身体的特徴の他人にまで不快感を向けるのは、見当違いというもの。それが「偏見」や「先入観」です。
そして、そうした偏見や先入観をもとに不快感を振りまいている行為、それが「差別」なのです。

では、もしもゲイがこんなことを言っていたらどうでしょう。
「以前、女性に付きまとわれたことがあるから、女性と関わるのはマジで勘弁!」
「は?」って思いますよね。
「その女性と私をいっしょにするな!」って思いますよね。おかしな話です。

それと同じように、国籍、性別、身体障がい、セクシュアリティなどで一括りにして大勢の人を拒絶することは、充分おかしな話なのです。

誰かイヤな人がいたとして、その人の特徴の一部だけを抽出し、同じ特徴の人たち全員を嫌うのは、見当違い。それはまるで、宛先を書かずに抗議文を送り続けるようなもの。身に覚えのない人たちに抗議文が届いたって、何も解決しないのです。