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人はお金で買える。もちろんあなたにも値札がついている。

「禁じられた取引」どこまで許される?
愛はお金で買えない。「聖なる」ものを「俗なる」金銭と交換するなんてあり得ない。そう思い込めたらどんなに幸せだろう。現実には、すべてのものには値札がつき、コストと割り切って計算できる。人間の命も、あなたの大事な家族も。しかし、それに値札をつけることに道徳的に憤慨し、「悪魔のビジネス」と呼びたくなるのも確かだ。それはなぜだろう? どうして割り切れないのだろう?

ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジの犯罪心理学者であるジュリア・ショウ氏は、9月12日発売の新刊『悪について誰もが知るべき10の事実』で、「悪」とは人や行動の本質ではなく、ある行為を誰かが悪と考えるからそれは「悪」になるという。道徳的に疑問なことをおこなう人は悪人だと考えるだけでは、悪の本質はわからない。そんなアプローチではなく、悪の仮面をはがせば、現代社会の本当の姿が見えてくる。本の抜粋からお届けしよう。

あなたの夫の値段はいくら?

私があなたの一時間を買い取るには、いくら支払う必要があるだろう? 一年ならいくらだろう?

これはいたって普通の取引であり、多くの場合、時間を金と交換する――人はそれを仕事と呼ぶ。同様に、あなたの家、衣服、ラップトップを買い取るにはいくら支払う必要があるか、とたずねるのも比較的普通のことだ。こういったものを金と交換することはめずらしくなく、(たいてい)価格がはっきりしている。

しかし、こんなふうに数字で表せないものが人生にはたくさんある。あなたを裸で牛に乗せ、テレビの全国放送向けに撮影するにはいくらかかるだろう? あなたが幼い頃から大切にしてきたテディベアはいくらだろう? あなたの赤ん坊、あなたの夫はいくらだろう? あなたの左の腎臓は? あなたの自由はいくらだろう?

こういったものを金に換算するのはきわめて不適切なことらしい。さらにこういったものを売るというイメージから連想されるのが、魂を悪魔に売るという宗教的なイメージだ。だが、こういった取引をおこなうのは悪いことなのだろうか?

 

一九九七年、アラン・フィスクとフィリップ・テトロックは、こういった状況に対する人の反応を解明しようとした。彼らの調査によれば、「禁じられた取引が乱すものは、人間関係の誠実さ、さらには神聖さと、その関係の根底にある道徳的かつ政治的な価値観に対する強固な規範的直観だ」。要するに、無限の保護と重要性らしきものを備えた「聖なる」価値と呼ばれるものを、金のような「俗なる」価値と取り替えるのは不適切ということだ。

金では買えない、少なくとも金で買うべきではないと感じるものは存在する。この議論を始める前に、簡単なテスト(原典の短縮版)をおこない、売買を許されるものに対するあなたの考え方を探ろう。テトロックと同僚たちが二〇〇〇年に発表した学術論文の一部をここで紹介しよう。