フランス「スカーフ事件」から30年、いまだ分断が加速する理由

ヴェール問題の争点はどう変化してきたか
伊達 聖伸 プロフィール

それから15年後の2004年。それまで「原則容認」だった学校でのヴェール着用を「一律禁止」とするライシテの法律が制定された。

2001年の9.11を受けて、フランスの郊外でもイスラームの過激化が進んでいると、まことしやかに語られていた。このようななかで、2003年には、将来のライシテ像を検討する諮問委員会が召集された。

委員会報告書には、ムスリムとの共生とのためのオープンな提言も含まれていたが、学校におけるヴェールの着用禁止も盛り込まれていた。これを受けてシラク政権は、公立校での目立つ宗教的標章の着用を禁じる法律を採択した。

国家や公的機関の宗教的中立性は、西洋諸国で一般的だが、フランスが特殊なのは、公立校の生徒というユーザー側の宗教的標章の規制にまで踏み込んだ点である。

ここはフランスを内側から理解する視点を持たないとわかりにくいところだが、この国では学校が「聖域」とも言うべき特権的重要性を持つ。個別的な民族や宗教や文化の差異を超えて、普遍的な共和国の市民を育成する使命を帯びているのが学校なのである。

批判的精神を持つ普遍的市民を育てるに際して、子どもは宗教の圧迫から自由でなければならない。このような考えが、ヴェールを禁止するライシテの論理を支えている。

もっとも、ライシテは信仰の自由も保障するものでもあるので、その観点から自発的にヴェールを被る子どもの権利を妨げる法律であったことは否めない。ただ、子どもの自由な意思とされるものも、実は親や周囲の意向を反映しているといった議論もあり、一筋縄ではいかない。

いずれにせよ、1989年から2004年のヴェール問題の焦点は、公立校の女子生徒の被るスカーフであった。その後、2004年の法律はすっかり既成事実化した。容認に戻そうという意見の持ち主もいないわけではないが、社会一般の論調はとてもそのようなものではない。

 

ヴェールの禁止と容認のフロンティア

2004年から現在に至る15年間の争点は、公共空間でいかなるヴェールを規制または容認するのかをめぐるものであると言える。

2008年には、託児所に勤務するムスリム女性のヴェールを着用して解雇される事件が起きた。託児所は私立だが、将来の市民となる子どもを預かる施設として公益性が高い。長い裁判となり、判決も二転三転したが、最終的には解雇を妥当とする判決が出た。

2010年には、ニカブやブルカなど、顔と全身を覆うヴェールを公共の場で着用することを禁じる法律が成立した。フランスのムスリム人口は500万人とも推計されるが、ニカブやブルカを被るのは2000人未満。蚊の退治に大砲を持ち出すようなものとも言われた。

2004年の学校のヴェール禁止法は「ライシテ」の名前を冠した法律だが、2010年のブルカ禁止法の法的根拠は「治安」である。それでも、公共空間からの宗教排除がライシテだという通念は、フランス内外で独り歩きしている。