「望まない延命治療」は、なぜ医療の世界からなくならないのか

後悔している家族も多い
週刊現代 プロフィール

「救急車」を呼ぶべきか、否か

「生前、母は『私はもう長くない。もしものことがあっても、病院で人工呼吸器に繋がれて延命治療を受けるのは絶対に嫌よ。このまま住み慣れた家で寿命を受け入れたい』と繰り返していました。そのときは、私も『わかった。ちゃんと自宅で看取るから』と約束していたんです。

でも母が自宅のベッドで意識を失っている姿を発見したとき、動揺してしまった。とにかく、今すぐにでも助けないと。そう思って119番通報をしてしまった。それが間違いでした」

今年4月、心不全で亡くなった金子栄子さん(仮名、享年93)の長女・智代さん(67歳)はそう振り返る。

自宅で容態が急変したとき、救急車を呼ぶか、否か。その判断は、そのまま在宅死を迎えるか病院で死んでいくか、運命の分かれ道となる。

「救急車を呼んでから10分後には救急隊員が駆け付けて、すぐに心臓マッサージが始まった。そのまま母はあれよあれよという間に救急車のストレッチャーに乗せられ、病院に運び込まれていきました。

母は病院に着いて即刻、人工呼吸器を取り付けられ治療がスタートしました。ですが回復の見込みはまったくなかった。そのままズルズル半年間の延命措置を受けた末に亡くなっていきました」

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母が息を引き取ってから、智代さんは今でも救急車を呼んだことを後悔しているという。

「母には、在宅治療を始めてからずっと診てくれていたかかりつけの主治医がいたんです。救急車を呼ぶ前に、ちょっとでも冷静になって、その先生に相談すれば良かった。

もちろん、かかりつけ医は母が在宅死を希望していることを知っていました。それを前提に、本当に救急車を呼ぶべきかどうかを話し合って判断するべきだったんです。結局、母には望んでもいない延命治療を受けさせてしまった。それが心残りです……」

自宅で心肺が停止した人の家族が心肺蘇生や救急車による病院搬送を拒むことを「蘇生拒否」という。

これは在宅死を望んでいる人や家族にとってみれば、不要な病院治療を避けるためにも大事な選択肢のひとつと言える。ところが、まだまだこの蘇生拒否をする家族は多くないのが現実だ。

「救急車を呼ぶというのは、在宅での死を放棄して救命措置をして欲しいと依頼することに等しいんです。つまり、『病院で強引にでも心肺を動かしてくれ』と。

ですが、自分の生命力のギリギリまで頑張って生きてきた人に無理に心肺蘇生を強いることが果たして正しいことなのか。私はそうは思えません」(満岡内科クリニック院長の満岡聡医師)

 

この「救急車問題」には、さらに悩ましい点がある。本人が自宅で死にたいと表明し、配偶者や子供がそれに向けた態勢を整えていても、死ぬ直前に現れた別の親族によってどんでん返しが起きてしまうのだ。

「人が亡くなる前には『死戦期呼吸』といって、ゴロゴロという音が出る呼吸困難症状が出るもの。ですが、これは通常、痛みを伴わないと言われているんです。いわば、家族にとって在宅死を受け入れるための通過儀礼のようなもの。

ところが、最期の最期に親戚が自宅へ来て『なんでこんな苦しそうにしているのに放置しているんだ。すぐに救急車を呼べ!』と119番通報してしまう。その先に待っているのは、意味のない救急病院の蘇生行為です」(ポーラのクリニック院長・山中修医師)

現実問題として、家族の病態が急変したときに救急車を呼ぶかどうか。その判断基準は、患者本人の意識がはっきりとしているか否かにあるだろう。もし患者の意識がまだ残っているなら、病院での治療後に自宅に戻れる可能性もある。

だが、すでに患者の意識がなく、さらに生前に本人が救急車での病院搬送を拒絶していたのなら――無理して119番通報することは、患者にとって不幸を招くことになる。

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