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「病院で人生を終える」ことは、ほんとうに幸せなのか

悔いを残さないためにできること

あなたが突然意識を失ったとき、あるいはあなたの家族が倒れたとき、救急車を呼んで、病院で治療を受けるのは最善の選択なのか。治る見込みがあればいい。しかし、もしそうでなければ……。病院で死ぬことの現実を、いま一度直視してみよう。

「心臓電気ショック」の声に出せない痛み

ある冬の寒い朝。山形県に住む主婦・東由美子さん(仮名、53歳)の義父(82歳)が心筋梗塞で倒れた。突然のことに驚き、慌てて救急車を呼ぶ。

7分後に救急車が到着した時には、心臓は停止していた。「心臓マッサージを施しますか?」と問われ、東さんは頷いた。

 

救急隊員は心臓マッサージを続けながら、急いで病院へ向かう。10分後、ようやく病院に到着。

救命医は、心臓の機能を強化する強心剤を2本と、抗不整脈剤を1本、義父の体に打ち込む。そして、意識を戻すために胸部にパッドを当てて、電気ショックを施す。

……ドンッ!

電気ショックの強さは200ジュール。小型の拳銃で撃たれたぐらいの衝撃を受け、患者の体が大きく揺れる。それでも意識を取り戻さないため、医師はもう一度、電気ショックを試みる。

……ドンッ!

2発目の「電気の銃弾」が撃ち込まれ、義父の意識は戻ったが、苦悶の表情を浮かべている。強い心臓マッサージを施したため、あばら骨が何本か折れているからだろう。

口からは生命維持のための管がつながれており、「痛い」と口にすることもできない。ただ低音のうめき声だけが漏れる。

義父は結局、その2時間後に息絶えてしまった。

家族が突然倒れたとき、多くの人が東さんのように反射的に救急車を呼び、救命措置を依頼するはずだ。助かる見込みがあればいい。しかし患者が高齢で先がそう長くない場合は、命をつなぐための治療が、死よりも苦しい痛みを与えることになる。

「救急隊員も病院の方も、懸命に治療を施してくれましたが、長い時間、生死の境をさまよった挙げ句、肋骨も折れていると聞いた時には、最後の最後に義父につらい思いをさせたのかと自分を責めました」(東さん)

延命治療がどれだけつらいものでも、受けている本人は「苦しい」「やめてくれ」と声を上げることもできない。

「大切な人に少しでも長く生きてほしいという気持ちはわかりますが、過度な延命治療によって患者が苦しむ可能性があることは、本人も家族も認識しておくべきです」と言うのは、ふじ内科クリニックの内藤いづみ院長だ。

「心臓マッサージで息を吹き返しても、その後1ヵ月生きられるかどうかわかりませんし、電気ショックで息を吹き返しても数時間しかもたなかった、ということも珍しくありません。

どんな治療を選べばどれくらい生きられるのか、その代償としてどんな痛みや苦しみがあるのか。元気なうちに調べておいて、患者本人と家族で『万が一のことがあったら、どこまでの治療を望むか』を確認しておくべきです」

厚生労働省の'17年の調査では、1年以内に病気が治る見込みがない場合、「自宅で最期を迎えたい」と答えた人の割合は約7割に上った。しかし、約8割が病院で死を迎えているのが現実だ。

苦痛を味わってでも一縷の望みにかけるのか、あるいは自然に任せて安らかに最期を迎えたいか。本人のためにも家族のためにも、せめてその意思は示しておきたい。