病院へ拉致され「不妊手術」をされた元ヤクザ・小島喜久夫さんの絶望

「当たり前でしょ。障害者なんだから」
佐藤 光展 プロフィール

小島さんは酒を飲まない。飲めない体質ではないが、「飲む気にならない」。酔った父から殴る蹴るの虐待を受け続けたためだ。「酒は怖いというイメージしかないんです」。

父に夕飯の汁をかけられたり、馬小屋の柱に縛られたりした。小学校では「もらいっ子」と冷やかされ、耐え切れずに喧嘩をすると、家でまた父に虐待された。

「俺は要らない人間なんだ」「なんで生まれたんだろう」。崩壊寸前の幼心を支えたのは、復讐心だった。

「今にみていろ。強くなってやり返してやる」

中学生になると、家の金を持ち出して度々行方をくらました。中学卒業後、東京で定職に就こうとしたが果たせず、ススキノのチンピラを経てヤクザになった。

成り上がるため見得を張り、上納金の他、服や持ち物などに金を使いまくった。足りなくなると実家に戻って父からせびり取る。もう抵抗できない父の姿を眺めながら「いい気味だ」と思った。

 

手錠をかけられ拉致された

18歳の夏、また金をせびりに行った。事前に「金を用意しておけ」と電話していた。

実家に着いて玄関を開けると、中から駐在が現れた。「増田」という名の巡査部長だった。父から連絡を受けて待ち構えていたのだ。

一緒に現れた父にいきなり顔面を殴られた。増田巡査部長はそれを止めるでもなく、小島さんに手錠を掛けてオートバイの荷台に括り付けた。

「何でこんなことをするんだ」

父は鬼の形相で言った。

「お前が悪いからだ。一生外に出さない」

増田巡査部長は行き先も告げぬまま、小島さんを荷台に乗せてオートバイを発進させた。

「(札幌)北警察署に連れて行かれて、それから少年院に送られるのだろう」。揺れる荷台の上で、小島さんは考えていた。だが、約40分後に着いたのは留置所でも少年院でもない別の「収容所」だった。

つらかった幼少期を振り返る小島喜久夫さん(札幌市の自宅で)