世界はなぜ「豊かな国」と「貧しい国」に分かれたのか?

今こそ世界システム論を読み返す
川北 稔

一国史観の限界

そこで問題になってきたのは、そもそもロストウのような歴史の見方は正しいのだろうか、ということである。すべての国や地域が、「先進国」となるわけにはいかないことは、「飽食」の例をみれば、明白である。

 

世界の諸国、諸地域は相互に影響を与えることもなく、セパレート・コースのトラックを共通のゴール(たとえば「飽食社会」)をめざして競走しているようなものではない。「先進国」の人間が「飽食」になれば、別の地域では食糧難が発生する。

アメリカ人が自動車を乗り回せば、地球上の他の場所で、石油資源はまちがいなく減少し、大気汚染や温暖化は確実にすすむ。日本人が大量に紙を使えば、インドネシアの森林は枯渇する。

そもそも、世界の歴史をイギリスとか日本とか、ケニアとかいった「国民国家」単位でみていくこと(いわゆる「一国史観」)は、いまの世界では通用しない。一六世紀に成立し、その後次第に拡大してついに地球全体を飲み込むことになった、近代の「世界」(ひとつのシステム、つまりグローバルな分業体制をなしていたという意味で、世界システムという)では、ある国の経済開発は、別のどこかの地域を「低開発化」していることが多いのである。

世界で最初の経験であったイギリスの産業革命でさえ、インド綿織物工業の消滅とその綿花輸出植民地化をもたらしたのであり、また、大西洋奴隷貿易と、カリブ海域の奴隷制砂糖プランテーションやアメリカ南部の、これも奴隷制にもとづく綿花プランテーションを生み出したのである。このように考えることで、ウォーラーステインは「世界システム」論に到達した。

世界システム論の魅力

ウォーラーステインの議論が歴史学や社会科学の領域の壁をこえて多くの人びとに影響を与えたのは、その議論が現代世界の抱えている多様な問題に、新たな解釈を与える可能性があったからである。

家族とは何か。人種とは何か。民族とは何か。国民国家とは何か、男女の役割分担はどうして今日のようなかたちになったのか、学問における真理とは何なのか。このような問題に明確な答えが期待できる点が、世界システム論の魅力となった。

最後に、この議論のもうひとつの大きな魅力は、それが未来についても語るものだということである。一四五〇年ごろから一六二〇年ごろまでつづいた「長期の一六世紀」に成立した近代世界システムは、その内部にときとして「ヘゲモニー国家」とよばれる超大国を生み出した。

一七世紀のオランダ、一九世紀のイギリスについで、第二次世界大戦後、ヴェトナム戦争までのアメリカがそれで、生産・流通・金融のすべての次元において、「周辺」はもとより、他の「中核」諸国にたいしても圧倒的な優位を確立した。

いまや、近代世界システムはアメリカのヘゲモニーの長期的衰退過程(ポスト・アメリカ)にあると考えられる。とすれば、似たような歴史状況は、以前にも見られたことになる。一九世紀末からイギリスのヘゲモニーが衰退し、アメリカとドイツが台頭した時代や、一七世紀末、オランダのそれが衰退して、イギリスとフランスが第二次英仏百年戦争ともよばれる、長期の覇権争いを演じることになった時代がそれである。

同様に考えれば、アメリカのヘゲモニーの衰退過程にあるいま、近未来はどのように予測されるのか。しばらくは日本をふくむ「中核」諸国の対抗がつづいたのち、第四のヘゲモニー国家があらわれるのか。そうだとすると、それは中国なのか、アメリカと結んだ日本なのか。いまは想像もできないどこかの国なのか。それとも、新たなヘゲモニー国家はもはや出現せず、五〇〇年つづいた近代世界システムは「死滅」するのだろうか。

「国民国家」というものは、近代世界システムの中核地域における統治形態として決定的な役割を果たしてきた。しかし、EUの統合やインターネットの普及、世界金融の動向、NGOの活動などに典型的にみられるように、いまや国境の意味は薄れ、国民国家は溶融の気配をみせている。

ここからすれば、世界システムという巨大な構造物が死滅する可能性も捨てきれない。世界システムが死滅したあとには、EU的な緩やかなつながりの「広域圏」が、新たな意味を与えられるであろう。