「在野研究」はいまなぜブームなのか? 大学の外から学問する面白さ

凡人なりの攻め方、楽しみ方がある
荒木 優太 プロフィール

研究過程にこそ目を向けよ

今回の編著は決して大学院生や非常勤講師の窮状を解決するために造られたのではないし、そもそも大学問題がこれほどこんぐらがってしまった以上、快刀乱麻の策を示すことなどもはや誰にもできないだろう。とはいえ、即効的な解決に固執しないのならば、長期的にみて『ビギナーズ』は日本の学術環境に大きく資するものだと考えている。

研究を必ずしも職業と一致させない、という見方はその一つだ。だが、それだけではない。『ビギナーズ』にはもう一つ重要な発想を取り入れようと試みた。すなわち、研究という営みを支えているのは決して狭い意味での研究者だけではない、という発想だ。

たとえば、研究者支援研究会を数多く運営してきた酒井泰斗(第一一章)と部外者にとってもオープンな学会であることを目指して「文芸共和国の会」を立ち上げた逆卷しとね(第一二章)とのあいだには、東京と地方という対照がありながらも、問題意識にかなりの接近が認められる。一言でいえば、研究成果ではなく研究過程にこそ目を向けよう、という意識だ。

 

たいていの研究者は他の研究者を評価するさい、その成果物、多くは査読論文や単著(または博士論文)に気取られがちだ。なるほど確かに、論文は研究者が精魂込めて丹念に調べた上げた知の結晶体だ。ただし、その結晶体は先行論文のブロックをただ重ねるようにしてできたのではなく、飲み会や雑談などの非公式な場もふくめた様々なコミュニティ/コミュニケーションのなかで、ブロックの選定法や重ね方の習得をだんだんと覚える、結晶化の一途をたどってきたはずだ。

この過程への意識は、論文以前だけではなく論文以後にも関わる。大学教授を目指す文系院生にとって博士号は今日ほぼ必須の要件と化しているが、そのために量産される博士論文は果たして適切な読者を得ているのだろうか。出しっぱなしで終わってしまうのならば、博士論文の執筆は単なる就職のための儀式と化し、執筆者は勿論のこと、学術界のメンバーやそれを見守る市民にとってそれら手間の存在意義を実感することはどんどん難しくなっていく。