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マラソンの名勝負「1979年の瀬古vs宗兄弟」デッドヒートを語る

本人が振り返った

相手が見えない恐怖

二宮 '79年12月2日に行われた福岡国際マラソンは、翌'80年のモスクワ五輪の代表選考会も兼ねていました。

宗茂さん、猛さんの双子の兄弟がリードしていた日本マラソン界に、スピードを武器にした瀬古さんという若きスターが現れた。瀬古さんは前年の福岡国際も制しており、かつてないほどの注目が集まりました。

76年のモントリオール五輪マラソンの様子(Photo by gettyimages)

宗茂(以下、茂) 私は'76年のモントリオール五輪に出場しましたが、20位に終わり、悔しい思いをした。それ以降、兄弟でモスクワに出場することを最大の目標とし、すべてのことをやってきました。あのレースはその集大成でした。

二宮 瀬古さんと宗兄弟の初対決は、その2年前にさかのぼります。'77年の福岡国際で対決し、2回目のマラソンだった瀬古さんが日本人トップの5位。一方、猛さんは9位、茂さんは52位とふるわず、瀬古さんに軍配が上がりました。

 

 このレースで瀬古さんに負けて、「これからは瀬古と勝負だ」という気持ちになりました。

瀬古 僕は大学に入った'76年からお二人のことは意識していました。その年、日本のトップ選手の合宿に同行した中村(清)監督(早大)から「宗兄弟はすごいぞ。きっと2年後ぐらいにものすごい記録を出すぞ」と言われたのです。

二宮 その予言通り、茂さんは'78年2月の別府大分毎日マラソンで日本人初のサブテン(2時間10分以内で走ること)を達成。優勝タイムの2時間9分5秒6は、当時、世界歴代2位の好タイムでした。一方で、同じ'78年の12月に行われた福岡国際では瀬古さんが優勝、茂さんは惜しくも3位、猛さんは15位。ハイレベルな競争が続きました。

 瀬古さんは東京、僕らは宮崎で練習していましたから相手が見えません。特に瀬古さんに関しては、中村監督が鉄のカーテンを引いていたので、まったく情報が入ってきませんでした。

だから、「あいつは今頃ものすごい練習をやっているはずだ」と想像し、気持ちを奮い立たせて、練習に取り組んでいましたね。