『傷だらけの天使』から『天気の子』へ…聖地から描かれた「故郷」

時代を表す戦後映画史①70年代「東京」
佐々木 俊尚 プロフィール

『木綿のハンカチーフ』で涙する理由

このころ、アイドル的な人気のあった歌手太田裕美が『木綿のハンカチーフ』(1975年)を大ヒットさせた。松本隆の歌詞は、都会に出て来た青年と故郷に残してきた少女の往復書簡のかたちをとっている。青年は故郷に郷愁を感じながらも、都会的なスーツを身につけた写真を同封し、「君を忘れて変わっていく僕を許して」「僕は帰れない」と突き放す。少女はダイヤも真珠も要らないから、「涙拭く木綿のハンカチーフください」と訴える。

文筆家の平川克美はこの曲がヒットした当時、20代半ばだった。彼は著書『21世紀の楕円幻想ーその日暮らしの哲学』 (ミシマ社、2018年)で、この曲について「団塊の世代の人間はこの歌を聞くと泣けてきちゃうんですね。本当ですよ」と書いている。

「どうして泣くのかといえば、自分が捨ててはいけなかったかもしれないものを捨ててしまったことや、それでも生きていくためには東京に出てくる以外の選択肢はなかったこと、東京での生活を享受していること。その両方の選択肢に引き裂かれているから」

平川氏はそれを「うしろめたさ」だと書く。本当はやらなければならなかったことをやり残したままにし、負債を引き受けずに「逃げた」感覚があるというのだ。

 

10年後に訪れるバブルにつながるもの

古い日本の田舎。それは安逸だったけれども、同時に息苦しくもあった。日本人は安逸さも息苦しさも捨て、不安だけれども自由気ままな未来へと転回していった。そこで置き去りにしていったものへの郷愁。それは物理的な地方ではなく、ばくぜんとした時間的な過去、過ぎ去っていった幻影への惜別の感情だったのかもしれない。

『傷だらけの天使』のオサムは24歳の設定で、平川氏と同じ1950年生まれの萩原健一の年齢がそのまま生かされていた。団塊の世代にぎりぎりぶら下がっている年代である。『木綿のハンカチーフ』から半世紀が経ち、この世代は今も逡巡しているのかもしれない。バブル末期の1992年に『清貧の思想』がベストセラーになり、また21世紀に入ってから「江戸時代に帰れ」「みんなで等しく貧しくなればいい」というような言説がこの世代の知識人から発せられるのは、その燃え殻のようにも見える。

1970年代なかばにはもはや変貌しつつあった「田舎」。団塊の世代が抱いた郷愁は、その時点ですでにまぼろしに変わりつつあったようにも思える。

『木綿のハンカチーフ』の2年後、中島みゆきが『ホームにて』を発表した。いまも歌い継がれているこの名曲がイメージする「田舎」は、まさに靄に包まれた幻影のようだ。

「ふるさとへ向かう最終に 乗れる人は急ぎなさいと やさしいやさしい声の駅長が街なかに叫ぶ」

そして振り向けば「空色の汽車はいまドアが閉まりかけて」と中島みゆきは歌った。ドアの向こうには幻影の田舎があり、ドアのこちらには都会の繁栄があった。この歌から10年の後、日本にはバブル経済が繁栄し、一瞬の炎のように栄華の文化が花開くことになる。そしてこのバブル文化を担ったのも、当時40代に達していた団塊の世代だったのだ。