『傷だらけの天使』から『天気の子』へ…聖地から描かれた「故郷」

時代を表す戦後映画史①70年代「東京」
佐々木 俊尚 プロフィール

農村から都会へ

『祭りの準備』は、脚本を担当した中島丈博氏の自伝的要素が濃い。中島氏は京都の生まれで、父は日本画家だった。戦争中に家族で中村市に疎開し、戦後も京都には戻らなかった。地元の高校を卒業し、高知相互銀行に就職する。四万十川流域の荒々しい風土とそこに暮らす人々に触れた経験が、この作品の原点になった。中島氏は著書『シナリオ無頼』(中公新書、2012年)でこう書いている。

「日本画家というリアリティのない職業を持つ芸術家の息子である私は、土着の人々へのひりひりするような同化願望を胸に抱えて育ちながら、同時に都会志望をも捨て切れないでいた」

沼のようにからみつく田舎の息苦しさにうんざりして都会に出て、そして都会の空を見上げながら田舎に思いを馳せる。1970年代の日本人は、田舎と都会のあいだを行ったり来たりしながら、逃走と郷愁のはざまで生きていた。

 

太平洋戦争の終戦時、日本人の多くは農村や漁村に住んでいた。明治時代から戦前まで農業人口はおおむね1400万人で安定して推移していたが、終戦時の食糧難で農村が余剰人員を抱え込むようになり、1950年には1600万人にまでふくれ上がった。その後は急速に減り続け、1960年には1300万人。70年代には1000万人を割り込み、その後も急降下し続けて現在は200万人を下回っている。

農村から都会へ。それはエリアごとの人口変動を見ても明らかだ。首都圏を含む南関東の人口は1950年、沖縄県を含む九州の人口とほぼ同じで、どちらも全人口の15.5%を占めていた。しかし1970年には南関東は23%に上昇し、九州は12.4%に落ち込む。東北や九州、中国、四国などのエリアの人口が減り、それらが南関東と近畿、東海などの大都市圏に大移動したのだ。

ソニーはトリニトロン技術を開発し、テレビの技術革新に貢献。技術革新と共に雇用もh Photo by Getty Images