2019.09.06
# 野球

ノムさんの「再生手腕」から学ぶ、「現役ドラフト」制度導入の課題

くすぶっている選手を救うには…
二宮 清純 プロフィール

「結論を先に出したら、まずダメですわ」

ところが山内さん、1973年にトレードで南海に移籍すると、いきなり20勝(8敗)をあげ、南海の7年ぶりのリーグ優勝に貢献したのです。その3年後の1976年にも20勝(13敗)をあげ、野村南海のローテーションを支えました。

では巨人でくすぶっていた山内さんを、プレーイングマネジャーのノムさんは、どのようにして再生したのでしょう。1981年に出版された『野村克也物語 月見草の唄』(長沼石根著・朝日新聞社)の中に詳しく紹介されています。

<山内が八年前を振り返る。

シーズンに入って2、3試合リリーフで投げたあと、あの人から、2、3日休養しないとほうれんのと違うか、といわれた。じつは巨人で2度肘を痛め、移籍前年はボールを投げられる状態じゃなかった。内心思ってたことをズバリと指摘され、否も応もなかった

野村は、山内の右腕が肘痛の後遺症で「く」の字に曲がっているのに目をつけた。

真っすぐのつもりで投げても、彼のボールはスライドする。自然のスライダーだから、打者は打ちづらい。このタマを基本に、カーブとシュートを交ぜていけば十分通用すると思った。そこで、一度負けてもいいから、アウトコース低めを丹念についてみろといった

(中略)

完投して初めて投げる楽しみを知った。20勝も2度経験した。野村さんに会わなかったら、野球をやめていたかもしれない」>

 

この年、南海は山内さんの他にも、江本孟紀さん、福士敬章(当時は松原明夫)さんら移籍組が活躍し、宿敵・阪急をプレーオフで下しました。3人とも移籍前年は0勝だったことから、ノムさんの評価はいやが上にも高まりました。

ノムさんは再生の秘訣について<彼らのもっているレベルが本当に低いのか、力を発揮できない原因が他にあるのか、じっくり見ることからスタートする。結論を先に出したら、まずダメですわ>(同前)と語っています。

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