「この光景は希望です」

高橋さんが率いる産科チームは、2005年以来、さまざまな理由で羊水がなくなった妊婦さんたちに人工羊水注入をおこなってきた。胎児医療で有名な病院なので、「不妊治療でやっと授かったのでどうしても産みたい」という高齢妊娠の夫婦などが、時にはかなり遠方からやって来て高橋さんたちに必死に助けを求めるという。そうした、最先端施設ならではの切実な事情もある。

入れている羊水は、人肌に温めた生理食塩水で特別なものではない。

高橋さんたちは現在、データを蓄積しながら、この治療が安全で、かつ有効だということを学術的な場で示す準備をしている。

「早い時期に破水してしまったり、早産になってしまったりする人は、意外に多いんですよ」

高橋さんたちは、早期破水や早産の可能性を妊娠初期から推測し、抗生剤や消毒などで予防をする独自な検査方法も実施している。
予防ができれば、それは一番いいし、これは早産を経験した女性が次の子を妊娠する勇気にもつながるだろう。高橋さんたちはこちらについても、学術的なデータを蓄積している最中だ。

インタビューの最後に、私は、小学校に上がり、通学かばんを背負っている佳奏ちゃんを高橋さんに見てもらいたくなって、撮ったばかりの写真を見せた。田んぼ道を下校する途中の佳奏ちゃんだ。

産科医は、このような、病院から巣立った子たちの成長した姿を見る機会はほとんどない。高橋さんは、写真をじっと見つめて「涙が出そうなくらいうれしいです。私たちにとって、本当にこの光景は希望です」と言った。そして、現場の本音を語ってくれた。

医療者は、実は、いつもすごく葛藤しながら治療をしているんですよ

大きな病院では、たくさんの医師がカンファレンスを開いて、この親子はどうしてあげたら一番いいのか、みんなで激論を闘わせた末の結論を、患者さんに伝える。でも、それが予期せぬ結果になってしまい、あの治療をしなければよかったと悔いることもあるのが現実だ。

子どもの障害という問題もかかわるから、高橋さんたちは家族とよく話し合い、それぞれに違う「幸せの基準」についても考える。正解のない世界で、高橋さんたちは、家族と共に悩み続けてきた。

「医師が、限られた情報しかない中で、簡単に胎児の命を決めてはいけないんですよ。それは偏見というものだと思います」

そんな、命に対して謙虚な医療に欠かせないもの、それは「希望」だ。

この子は奇跡を起こしてくれるかもしれない――佳奏ちゃんは、かつて、そう言われて、生まれてきた。そしてこの日は、佳奏ちゃんが高橋さんに希望を与えていた。未来の医療は、佳奏ちゃんのような困難を乗り越えて生まれてきた子どもたちの生命力によって勇気づけられる。そして、それが希望のバトンとなって受け継がれることによって、支えられている。

佳奏ちゃんは大きなカバンを背負って元気に登校している。高橋医師らが医療従事者としてできる限りのことをやりたいと尽力し、世に誕生したかけがえのない命だ 撮影/河合蘭