ほんまに怖い? 京都の怨霊と「ほんまもん」の京都人

祇園祭の主役から現代の大哲学者まで
西川 照子

怨霊となった崇徳天皇との会話

という訳で、怨霊とのうまい付き合い方をマスターした私は、崇徳天皇の怨霊と出会った時、昔からの知り合いのような気分であった。崇徳天皇の怨霊とは「タメ口」で話をする。色々と質問をする。

 

「ねえ、ストクさん、ストクさんは、白峰神宮で何をしているの? なぜ、粟田神社の御祭神に名を連ねているの? 祇園はお好き? 安井金比羅宮に侵入しているラブホテルのこと、どう思っているの? 六波羅蜜寺は住みやすい?」

崇徳天皇は総ての質問に素直に答えてくれた。そのストクさんのお言葉をこの『京都異界紀行』に書いた。意訳したものを掲げてみよう。

「僕は蹴鞠(しゅうきく)は嫌いじゃないけど、そんなにうまくないんだ」

「粟田神社は、もう少し僕のこと語ってほしいな。天神さんと一緒にいた頃の話をね。粟田神社の摂社・天満宮に僕は元々いたのだからね」

「祇園の御陵は結構、気に入っている。歌舞練場に寄り添っているところがいいね。僕は花やかなことが好きなんだ」

「ラブホテル? 全然かまわないよ。ただ後々はそこに結婚式場が出来るといいな」

「六波羅蜜寺は、暗いな。灯りがほしい。出来たら、僕の絵像も宝物庫に、空也さんや、地蔵・えんまさんと一緒に並べてほしいな」

ストクさんは庶民的。しかしその生い立ちは哀しい。結局、実の父の名は明かされなかったから、歴史的には彼は私生児ということになる。ここも梅原大怨霊と似ている。

現代につづく空也上人の物語

ストクさんから空也上人の名が出たから、ここからは空也上人に話を移そう。崇徳天皇は当然天皇の御子だが、空也上人にも御落胤説がある。天皇の御子、あるいは〝天皇〟ということは、物語の中では特別の重みを持つ。最も尊い御方が、最も下層の庶民を助けてくれる物語。

空也上人は遊行聖。水なき所では井戸を掘り、橋なき所には橋を架け、行き倒れになった人あらば、丁重に弔った。

全国を遊行していた空也上人が京へ戻って来た時、まず彼がしたことは、鳥辺野への死者の埋葬であった。これは、葬送集団・行基の跡を継いでのこと。「火葬」を最初にしたのは行基の弟子の「志阿弥(しあみ)(実際は沙弥がなまったもの)」と言われる。

鳥辺野の麓に行基集団は住していた。その葬送の徒の流れを空也は受け留めた。おそらく火葬も彼の仕事であったろう。空也は鳥辺野の麓に地蔵を祀った。死者供養のためである。

その地蔵堂が西光寺という寺となり、現在の六波羅蜜寺となる。この空也を慕ったのが、時宗の一遍上人である。京は七条にある市屋道場金光寺では、初祖が空也上人、第二祖が一遍上人である。

時宗は、今は衰退しているが、京の要衝にかつての栄華の跡がある。能の観世会館(岡崎にある)がある通り、仁王門通と東大路通が交叉する地に時宗の大炊道場・聞名寺(もんみょうじ)がある。ここにも天皇伝承がある。時宗の一遍さんより古い物語である。