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ほんまに怖い? 京都の怨霊と「ほんまもん」の京都人

祇園祭の主役から現代の大哲学者まで

本当はコワ〜い? 京都の話

「あとがき」にも書いたが、この原稿を依頼された時、担当編集者に「京都ってコワ~い所ですよね。それを書いて下さい」と言われた。しかもタイトルは、もう決まっていた。『京都異界紀行』。

「京都の異界ですね。異界って恐い所ではありませんよ。妖しい、怪しい所ではありますけれど」

「それが恐いじゃありませんか。雅とか花とか言われているけれども、京都って本当は妖しいのでしょ。怪しいのでしょ」

彼と話をしていて気付いたことがある。私は京都が恐くないのだ。妖しくて、怪しくて、不思議であっても、恐いとは思わない。『京都異界紀行』に登場する怨霊・崇徳天皇は政争の敗者となって、讃岐に流された。

せめてもと経を書き、それを京に送るが、それさえも受け入れられず、ついに彼の地で死んでそこで埋葬された。崇徳の亡骸は京に戻ることが出来なかった。崇徳は死んでも怒りを鎮められず、死霊は京に飛んで来て大暴れし、災害・疫病・死をもたらした。多くの不幸が京を包んだ。

その崇徳の御姿はものすごい恨み故、あまりにも恐しいものであった。それで、天狗になったとか、魔王になったとか、当時の物語には描かれている。私は崇徳を哀しい存在とは思うけれど、その怨霊を恐しいとは思わない。

「京都の大怨霊」…その名は梅原猛

私には、30年近く「現代の京の大怨霊」との付き合いがある。それで怨霊に対する免疫が出来ているのだ。その「現代の大怨霊」は名を「梅原猛」という。「俺が怨霊だ。タタってやる」とよく言っていた。

 

冗談なのか。本気なのか。またこうも言っていた。「俺は死んで神になる」。怨霊が死んで〝神〟になるなんて、出来過ぎ。やっぱり冗談だったのだろう。でも「梅原神社を建ててくれ」とも言っていた。こちらは本気かも知れない。

「怨霊・梅原猛」が80歳になった時(怨霊も年齢(とし)を取るんだ)、私は怨霊の本を記念として作った。「梅原猛の世界──神と仏のものがたり」。そして、こう言おうとした。「先生に二十数年、お仕えして参りました。丁度いい頃合なので、これでおいとまさせて頂きます」と。言おうとしたが、結局、言えなかった。

「80か。まだ時間があるな。これから能をやろうと思う。10年はやりたい。あんた手伝ってくれんか」

あと10年。梅原猛、90歳。

「能は怨霊がカタる芸能だ。これをやらんことにはな。その後の10年で、人類の哲学を完成させる」

梅原猛、100歳。やっと「哲学者・梅原猛」が完成するのか。

「先生は怨霊でしょ。能で終わってもいいのでは? 能も十分哲学ですよね」

相変わらずの「減らず口」。怨霊は怒る。でもぜんぜん恐くない。笑ってしまう。笑うと、怨霊は増々、怒る。

怨霊は「3月20日」という特別な意味を持つ彼の誕生日を迎えることなく、1月19日(平成31年)に死んだ。93歳。「怨霊も死ぬんだ。それにしてもきれいな御顔。神になったね、仏になったね、先生」。

先生との最後の大きな仕事は新作能「針間(はりま)」(平成27年)。もうその折は、私は「梅原怨霊学校」を卒業していたのだが、怨霊の「口述はあんたでなければうまくいかん。手伝ってくれ」で、一時、怨霊の許へ復帰した。

嬉しかった。先生の最後の創作のお手伝いが出来て。ここでも笑ってしまう怨霊の言葉がある。「俺はこの仕事で100万もらう。あんたには、その中から20万渡す」。怨霊は計算も得意。特別にありがたい20万円であった。