photo by iStock

日本の歴史がずっと、中国の「三国志」とともに歩んできた理由

日中戦争期、「三国志」は大ブームに
「三国志」は江戸時代には芝居や春画になり、日中戦争期には大ブームになりました。日本人はなぜこれほど「三国志」が好きなのでしょうか? 三国志好きが高じて『愛と欲望の三国志』を刊行した、ニッポン放送アナウンサー・箱崎みどりさんが、その理由を解説します。

どうして人気があるのか?

『三国志演義』は、中国四千年の歴史の中で、一瞬とも言える百年ほどの時代を描いた小説なのに、なぜか日本人は「三国志」が大好き。

どうして、「三国志」は日本で人気があるのでしょうか?

面白いから

もちろんそうだと思います!

キャラクターが魅力的だから

誰が好きかを話し出すと、盛り上がりますよね!

人生の教訓が詰まっているから

様々な英雄豪傑の人生が描かれていますから、組織や人心掌握術について学ぶこともできるでしょう。

「三国志」好きを公言していると、年上、先輩の方々との共通の話題もできますし、普通は直接お話しする機会がないような偉い方でも、「三国志」好きということで、話しかけてくださることもあります。いまだに「三国志」は、おじさま方のバイブルなのですね。

誰も勝者にならない、滅びの美学があるから

日本人は昔から判官贔屓。平家の滅亡も、曽我兄弟も、大坂城落城も、忠臣蔵も、西郷隆盛も、敗者の歴史は、物語になり詩になり歌になり、大衆の喝采を浴びてきました。魏・呉・蜀、三国のいずれも勝者にならない「三国志」には、日本人好みの諸行無常の響きが色濃く流れています。

人物、教訓、滅び……様々な魅力が詰まった三国志(photo by iStock)

……といったように、日本での「三国志」人気には、色々な要因があって、一人一人の好きなポイントは、人それぞれ違うと思います。そんな中で、人気の理由の一つに、こんなものもあるかもしれません。

日本でずっと読まれてきたから

そうなのです。日本の歴史は、ずっと「三国志」とともに歩んできたのです――。

 

『三国志演義』は三十種類以上

「三国志」について、簡単に説明します。

西暦一八四年、中国の漢王朝が、宗教も絡む農民の反乱・黄巾の乱で揺らぎ、二二〇年に滅びてから、魏・呉・蜀、三つの国が鼎立していた時代が、「三国志」の舞台となる三国時代です。

二八〇年に晋という国が中国統一を果たすまでなので、ほんの百年ほどの、この時代のことを書いた歴史書が『三国志』。

三国時代が終わり、司馬懿の子孫が晋を建てて天下統一を果たした後に、蜀の旧臣、陳寿が書きました。陳寿の『三国志』があまりに簡潔だったので、五世紀、裴松之が他の文献から『三国志』に注釈をつけました。

そこから語り物を経て、歴史を基に、史実三割、虚構七割で小説に仕立てたものが、元末明初(十四世紀後半)に成立した『三国志演義』です。登場人物の事績や戦の勝敗は史実を基にしているものの、具体的なエピソードは虚構が多い、といったイメージです。中には、董卓・呂布を手玉に取る美女・貂蝉や、関羽に付き従う武将・周倉のように、史実にない登場人物もいます。

『三国志演義』は、コピー機も著作権の概念もない時代に、手書き、そして木版印刷で次々と複写され流布していきます。版元によって細かく違うさまざまなバージョンがあり、現在、三十種類以上が確認されています。

ここまでが、「三国志」の日本史と関係する、中国で生まれた中国語の「三国志」です。

日本では芝居、川柳、春画にもなった

このように、「三国志」は、一冊の本ではありません。

さらに、日本では、奈良時代以降史書『三国志』が日本の歴史書、軍記物語の参考にされてきました。江戸時代に小説『三国志演義』が翻訳されるとその勢いは増し、芝居になり、川柳になり、春画になり、さらに明治時代以降、近代小説にも取り込まれていきます。

その後、『三国志演義』の翻訳やダイジェスト、語り直し、「三国志」の登場人物の伝記、随筆、詩等々、「三国志」を扱った本の出版が、現代まで続いています。

私は、この〝一冊ではない〟「三国志」の多様さに魅了され、それぞれの「三国志」が、なぜどのようにして生まれたのか、それぞれがどう違うのか、どのような特徴があり、どういった意味があるのかなど、小学生のころから今まで、ずっと考え続けてきました。