Official髭男dismの大ヒット曲「Pretender」を同性愛から読み解く

JPOPと「クィア・リーディング」の可能性
阿部 幸大 プロフィール

この曲が「よそおって」いるもの

上述のような読解を経て「Pretender」のMVのストーリーを観なおすと、その結末の矛盾に気付くことになるだろう。なぜならMVの最後の場面において、主人公は女性を外に連れ出し、愛を告白しているように見えるからだ。

「Pretender」公式MVより

彼の告白の成否にかかわらず、失恋ソングの結末が告白なのはおかしいはずである。彼は「愛を伝えられたらいいな/そう願っても無駄だから」、「「好きだ」とか無責任に言えたらいいな/そう願っても虚しいのさ」と歌っていたではないか。

そこで思い出すべきなのは、「Pretender」というタイトルである。pretendは「〜のふりをする」という意味の動詞であり、語尾にerがついて、「ふりをする人」、「よそおう者」といった意味になる。だがこの歌詞には、なにかを偽装するような行為は出てこない。

そのありかは、MVの矛盾のうちにある。この結末とタイトルをあわせて考えれば、彼のpretendの意味とはすなわち、異性愛者のふりをすること、それ以外にないとわかるだろう。

そう、「Pretender」という曲じたい、その歌詞とMVじたいが、異性愛をよそおっているのである。

 

だが最終的に、わたしたちは彼のセクシュアリティを確定することはできない。男性と女性を見つめる静止画が並置されていたように、彼の恋は曖昧さのうちにとどまる。彼はpretendすることで、外部からの「異性愛か、同性愛か」という二者択一を宙吊りにするのだ。

クィア・リーディングが目指すのは、彼を同性愛者だと認定することではない。その使命は、異性愛以外の可能性をじゅうぶんに考慮したうえで、pretenderがわたしたちに見せた決定不可能性そのものを答えとして受け入れることである。