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「手術不能のガンが見つかりました」と新聞広告を打った元社長の願い

最後まで自分らしくあるために

「息をしてくれているだけでよかったのに」

「あの人は本当にいてくれるだけでありがたい存在でした。主人は晩年は喋ることができませんでしたが、隣で息をしているだけで、私は安心できました。どんな状態でもいいから生きていて欲しかったんです」

そう振り返るのは、篠沢礼子氏。「あの人」とは、礼子氏の夫で、'17年10月に亡くなった学習院大学名誉教授の篠沢秀夫氏(享年84)のこと。篠沢教授といえば、『クイズダービー』(TBS系)の珍解答者としてご記憶の方も多いだろう。

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ずっと健康で生き続けても、迷惑がられ、「やっと逝ってくれたか」と言われる人がいる。その一方で、寝たきりになったり、長患いを経て亡くなった後も、慕われ続ける人がいる。

篠沢教授もその一人だ。'09年1月、篠沢教授はALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された。ALSとは筋肉の萎縮と筋力の低下を引き起こす疾患で、最終的には自力で呼吸や嚥下ができなくなる。難病と診断されても、篠沢教授が動じることはなかったという。礼子さんが振り返る。

 

「ALSと診断されたとき、私は食事が喉を通らなくなるほどショックでしたが、主人は黙って受け入れていました。主人は8年半の闘病生活を送りましたが、嘆いたり、ネガティブなことは一切言いませんでした。

おかげで介護をしてくれるヘルパーさんも、みんな喜んで主人に接してくれていました。難病になってからも6冊の本を執筆するほど頭の中は仕事のことでいっぱいだったので、他人に当たったりする暇がなかったのかもしれません(笑)」

篠沢教授は次第にキーボードを打つのが困難になると、『伝の心』という重度障害者用の入力機器を使うようになった。1時間に20文字ほどしか進まないものの、来る日も来る日も執筆に明け暮れていたという。

'17年6月、篠沢教授は軽度の肺炎と診断されて入院。容態が急変し、同年10月に他界した。

「主人はたくさんの思い出を作ってくれました。最期までお世話できて本当によかったと思っています」(礼子氏)