立花孝志氏は、日本版トランプであるとの話があるが、筆者もそのようになる可能性はあると思う。
トランプ流の本質は、良くも悪くも「民意の反映」である。オールドメディアはよく、国民に人気のある政党や人物に「ポピュリズム」という言葉を投げつけて馬鹿にしているが、ポピュリズム(大衆主義)こそが、民主主義の根幹である。大衆こそが国民の大多数を占めるからだ。
大衆の意思を小ばかにするオールドメディアは「自分たちは偉い」と思いあがっているだけだ。
その点で、「大衆受けすることなら何でもする」という立花氏のスタイルはあっぱれである。「国民の(建て前ではなく)本音に敏感な」トランプ流と相通じるものがある。
暴走することはあっても、彼らの力の源泉は「国民の声」であるから民主主義の範疇を超えることはまずない。
それに対して、れいわ新鮮組に対してはかなりの警戒感を持っている。
代表の山本太郎氏の過去の行動と周辺の人物。現在主張している政策や支持者の顔ぶれから、筆者も周囲の識者も、彼らは極左政党であると判断している。
ファシズムの創始者はイタリアのムッソリーニ(ヒトラーは彼から学んだ)だが、元々イタリア社会党員であり、左翼系新聞の記者として活躍して頭角を現した。
しかし、共産主義、社会主義に飽き足らず、帝国主義などを付け加えて、彼が共産主義を独自に「進化」させたものがファシズムである。
共産主義もファシズムも、一部のエリートが大衆を「指導」するという考えは共通であり、国民の意思を政治にできる限り反映させようとする民主主義とは全く異質なものである。
れいわ新鮮組という名前には、共産主義らしいプロパガンダ戦略の巧みさを感じるが、「一点豪華主義」政党が乱立する中で、仮面をかぶった極左・ファシズム政党が勢力を伸ばすことには大いに警戒しなければならない。