ゲリラ兵が射殺、両親は自殺…戦時中、ある少女が味わった壮絶体験

知られざる「引揚孤児」のその後(2)
石井 光太 プロフィール

両親は娘たちを残して自殺…

みや子が兄を失ったのは6月の初めだった。

その頃、みや子たち家族4人は他の日本人たちとともに森の竹林に身を潜めて寝泊まりしていた。当時8歳だった五男は四六時中隠れていることに飽きて、夕方に遊ぼうと竹林を飛び出した。すると、外で待ち構えていたゲリラが一斉に銃を撃ってきた。五男は脇腹に弾が当たって倒れたが、母親も含めて日本人たちは誰も助けに行くことができなかった。そして五男は治療も受けられぬまま、その場で息絶えたのである。

翌朝、みや子たちは竹林を出て五男の死体を土に埋めると、再び逃避行をはじめた。ここにいては見つかるのは時間の問題と考えたのだろう。母親は兄のことについては何も言わず、みや子を背負って歩きつづけた。

それから約3週間後の6月27日のことだった。みや子と母親と次女の3人は、2畳ほどの小屋を見つけ、そこで寝泊まりしていた。すると、突然父親が姿を現したのである。マニラで別れてから約半年ぶりの再会だった。父親はマニラの市街戦の後、他の日本人たちとともに逃げ、みや子たちを探し当てたのである。

その夜、みや子や次女は父親との久々の再会を喜び、つかの間の幸せを感じながら眠りについた。だが、夜が明けて目を覚ますと、小屋の中に父親と母親の姿がなかった。みや子は慌てて次女とともに外に出てみた。すると、父親と母親が家の外で倒れていた。すでに母親は息を引き取っており、父親は絶命寸前だった。

 

「お父さん! どうしたの!」

次女が泣き叫んで体をゆさぶった。だが、父親はそのままこと切れてしまった。おそらく、2人で毒薬を飲んで自殺を図ったのだろう。

みや子はこの時のことを鮮明に覚えている。

「お父さんとお母さんが、なんで私たち娘を遺して自殺したのかはわかりません。ただ、周りの大人たちは何となく事情がわかっていたみたいですね。

私たちが泣いていたら、通りがかった日本人の兵隊さんが驚きもせずに『ここに埋めてあげるからね』って言って、5、6人の兵隊さんとともに土に埋めて塔婆を立ててくれたんです。

兵隊さんは『米軍が来るから逃げなさい』と言っていなくなりました。

でも、姉はお墓から離れようとせず、ずっと泣いているんです。私が手を引っ張って『お姉ちゃん、逃げようよ』と言っても離れようとしませんでした。私は五歳だったのでよくわかっていなかったんですが、8歳だった姉はいろんなことを理解していたんでしょう」