ゲリラ兵が射殺、両親は自殺…戦時中、ある少女が味わった壮絶体験

知られざる「引揚孤児」のその後(2)
石井 光太 プロフィール

すさまじい飢餓

そんなある日、米軍の爆撃機がソラーノに襲いかかってきた。日本人が暮らしている家々に爆弾を落として焼き払ったのである。日本人たちはほとんどものを持たず、町から逃げ出して山へ逃げ込んだ。

ここから山で身を潜める生活がはじまったが、日本人たちを襲ったのはすさまじい飢餓だった。最初は現地の人たちが逃げ出した村を回り、畑から芋を盗んだりして食べていたが、フィリピンのゲリラ兵たちが連合軍に加わり、逃走する日本人や日本兵を追うようになると、それもままならなくなった。

食べ物といえば、森の中で見つけるバナナくらいだった。バナナが見つからない時は、そこらに生えている葉っぱをむしり取り、川で土を洗ってから食べた。知っている人たちが栄養失調に陥り、次々と倒れていった。

日本人が集まり、なんとか食べ物や薬を手に入れたいと話し合い、町へ盗みに行くこともあった。多くの場合、ゲリラに見つかり、その場で射殺されてしまった。いつしか、市街戦に敗れた日本兵たちも加わっていた。

 

みや子の言葉である。

「覚えているのは、山を転々としたことです。村の空き家となった高床式の建物の下に豚と一緒に寝たり、竹林に布団を敷いて寝たりしていました。米軍の飛行機の音がすると、すぐに森の中に身を隠しました。

山中の道には、倒れている日本人もたくさんいました。兵隊さんも一般の人もいました。みんな体が弱ってましたから、歩いていてもフラフラで、崖から落ちてしまう人もいましたよ。

でも、私たちも栄養失調なので、助けることができないんですね。余計なことをしたら、自分も死んでしまいますから。私は小さくてあまり歩けなかったので、移動中はお母さんにおんぶしてもらっていました。お母さんは本当に大変だったと思います」