関係の深まる講談社と陸軍…突き付けられた言論統制のサーベル

大衆は神である(65)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業者・野間清治の波乱の人生と、日本の出版業界の黎明を描き出す大河連載「大衆は神である」。

戦争へと突き進む昭和10年代の日本。今や着物の柄から頭髪の形まで軍部によって握られている。そしてそれは、出版界も例外ではなかった。用紙の統制、思想の統制が出版社を逼塞させていく。

第七章 紙の戦争──毒饅頭(1)

外の敵には堪えられても……

昭和13年2月の教授グループ事件以来、日本の「ジャーナリズムは急速に変貌を遂げた」と池島信平は言う。みずから新時代便乗のポーズをとる人が急速にふえてきた。彼の同僚などでも「これで新しい時代が来たよ」と広言した人のいるのを見て愕然とした。

今まで自分と同じような考えを持ち、同じコースにあるものと思っていた人がある瞬間からガラリと変った言動をする。また自分のいうことが正しくその人に理解されていたと思っていたのが、実はそうでなくなった。しかも、その理由すらわからない。次も池島の回想である。

 

〈きのうまでの仲間と思っていた者が突如として敵に回るわけである。わたくしは、みだりに人を敵という言葉で呼びたくないが、敵という言葉を実際に遣うのは相手方である。「自由主義は敵だよ。古いぞ」という一言で片附けられ、新しい?時代が強引に是認されてしまう。そこに論議もなければ、常識の入る余地もない。怖ろしいことだと私は思う。

日本全体の動きが右へ、右へと動き、そこには筋道の通った考えが通らない。問答無用の強権が支配する。私は敢えていうが、これは怖ろしいことには違いないが、外部から来る攻撃だけなら必ずしもわれわれに挫折感を抱かせない。自分自身にやり切れなさと虚無感をもたせるのは、外部のこういう変化ばかりでなく、むしろ同僚や社の内部に起った精神的断層である。外の敵に対してはわれわれは比較的容易に堪えられるが、内部に起った異和感に対してはタマらないのである。

(略)内部からくる、なんともいえない陰惨な暗い影に対しては、自分ではどうにもできず、ただやりきれなさのみが残って、これと正しく闘うということができなくなってしまったことを正直に告白しなければならない。時代がいよいよ右翼になると、これらの人達はいよいよ右に偏って行った。いうことはいよいよ支離滅裂であるが、熱情はいよいよ強く、熱情のみによって、むしろあらゆることがジャスティファイされるような印象さえ与えるようになった。〉

朝、池島が社へ出勤すると、この人たちのある人は、声高らかに自分の机で古事記を朗誦(ろうしょう)している。あるいは日本書紀を朗誦している。

そして池島の顔を見て、これ見よがしに、日本精神のないヤツがやってきた、というような顔をする。ものに憑かれたようなこの人たちの姿を見ることは池島には苦痛であった。毎朝、社へ出て、彼らの顔を見るのが、心重かった。