渋野日向子20歳、女子ゴルフ新ヒロイン「とっておきのイイ話」

実は妹さんもゴルフが上手い
週刊現代 プロフィール

地元・岡山が育てた才能

小学生時点での渋野は、まだゴルフを選ぶかソフトボールを選ぶか決めかねていた。そのため、岩道氏はどちらを選んでもいいように、練習に工夫を凝らしていたという。

「あの子は右投げ左打ちですが、これはゴルフのコーチである佐藤君と相談して決めました。ゴルフと同じ右打ちでソフトを始めさせると、スイングに変な癖がつくかもしれない。ゴルフに影響しないように、わざと左打ちを教えたんです」

父・悟さんも佐藤氏も、岩道氏とは親しい間柄だ。こうした地元・岡山ならではの密接な関係が、天才の成長を地域全体で温かく見守る土壌を作り上げたのだ。

'11年、公立中学校に進学した渋野は、軟式野球部に入部。唯一の女子選手として活躍するが、1年生の夏に「岡山県ジュニアゴルフ選手権大会」で優勝したのを機に、心は少しずつゴルフへと傾いていった。

「本人も家族も悩んでいたのでしょう。2年生のとき、お母さんが野球部長の教諭に『(野球を)辞めてもいいんじゃろうか』と相談したんです。それで部長が『ええよ。ゴルフに絞ればいいんよ』と答えて、それ以降ゴルフに専念するようになった」(当時の軟式野球部監督・林田徳之氏)

 

以後、渋野は2、3年時も岡山県ジュニアゴルフ選手権を連覇し、県下では敵なしというところまで上り詰め、高校はゴルフ部が強い私立・岡山県作陽に進学する。

そして、渋野が「これなしでは考えられない」とまで言い切り、愛用を続けているゴルフ用具メーカー「PING」に出会ったのもこの頃だ。

きっかけを作ったのは、前出のソフトボール監督・岩道氏だった。氏の甥で、地元スポーツショップのアドバイザーを務める向井誠氏が言う。

「名門・作陽に進学した日向子ちゃんですが、メーカーからの用具提供の話はなかった。すべて自腹で用意するとなるとバカにならない。

叔父から『日向子のためになんとかせい』と言われて考えたところ、パワフルな日向子ちゃんに一番合うのは、球が曲がりにくいPINGだと思いました。そこで、うちに納品していた同社の営業さんに相談すると、とんとん拍子で契約が決まったのです」

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周囲の支えもあり、順風満帆に思われた渋野のゴルフ人生だったが、この頃から次第に壁にぶち当たるようになる。県代表にこそなるものの、全国大会ではまったく勝てなかったのだ。

高校時代、渋野がキャディのアルバイトをしていた「山陽ゴルフ倶楽部」(岡山県赤磐市)の支配人、冨原和豊氏が語る。

「彼女は体の成長が周囲より早かったぶん、体格頼りでボールを飛ばしてしまう部分がありました。ところが、高校くらいになると一足先に伸びが止まってしまった。

一方、他の選手はその辺りからぐんぐん伸びてくる。飛距離の差はどんどん縮まり、本人も相当焦っている様子でした」

'17年、高校を卒業した渋野は進学せずにプロテストを受験する。ところが初日から大叩きしてしまい、不合格に。

この年、同い歳の畑岡奈紗はすでに日本女子オープンで連覇を果たしていた。気づけば、同世代のトップ選手たちとは圧倒的な差がついていた。

見かねた冨原氏は、ある日、渋野に尋ねた。

「日向子、あの子と同じ舞台に立って勝負できると、本当に思っとるんか」

大成できずに消えていった選手を何人も見てきたからこそ、思わず口をついて出た言葉だった。

「厳しいことを聞いてしまったかなと思いました。でも、彼女はこちらをまっすぐ見据えて『思っています』と、きっぱりと答えたんです。こんなにも強い意志を持っているのかと、驚きました」