器の「初音ミク」と生身の「キズナアイ」2人を隔てる「差」の正体

ヴァーチャル世界の女王になるのは…
片野 浩一 プロフィール

そこに「人格」はあるのか

話を「キズナアイ」との比較に戻そう。「初音ミク」の生みの親であるクリプトン社社長・伊藤博之氏は、私たちの「初音ミクとは何者か」という問いに次のように答えてくれた。

『初音ミク』現象が海外ではなく日本発だったのは、日本の文化的な背景が関係している。伝統芸能の1つである人形浄瑠璃は『劇』と『語り』が特長で、浄瑠璃(語り手)の語りに合わせて人形が演じる舞台芸術である。三味線の伴奏に合わせて使い手が人形を操る姿は、音楽に合わせてクリエイターが『初音ミク』を操作して、人形と同じようにクリエイターが『初音ミク』という器に魂を込めている姿に重なる」と言うのだ。

初音ミクのルーツにある「人形浄瑠璃」/Photo by gettyimages

つまり、「初音ミク」とはクリエイターたちが自分の思いを込める人形であり、器であるという例えである。あわせて「『初音ミク』に人格はない」とも語っていた。

これに対して「キズナアイ」は、「初音ミク」と同様に思いを込めるクリエイターも存在するが、魂は人格を持った生身の人間である(設定は別であるが)。AIの技術が背景にありながらも、そのキャラクターの個性を表現するのは人間である。この点が二人を分ける違いであり、ファンユーザーが彼女たちを認識する違いにもなっているのではないだろうか。

「初音ミク」のファンユーザーは、自ら語り手となって思い思いの「初音ミク」を創る。それぞれが育ての親となって互いの子供を応援する。そのため、表情や体形が異なる多様な「初音ミク」のパフォーマンスも快く受け入れることができる。

 

一方、「キズナアイ」のファンユーザーは、あくまで唯一無二の存在としての彼女を応援する。外見は同じであっても、中身の人間が代わると、もはや本人とは別人になる。前述の「キズナアイの分裂」動画がファンの間で議論を呼んだのも、このためだと考えられる。

最後に、この違いを「ユーザー・コミュニティ」という切り口から考えてみよう。