奈良に「土葬の村」発見! なぜ、今も、村人は土葬を選ぶのか?

弔いのエスノグラフィー
高橋 繁行 プロフィール

湯かんと落語

今でも水に湯を入れると「縁起でもない」とお叱りを受けることがある。それはサカサゴトといい、葬式の時にだけ行うふだんとアベコベの所作だからだ。

遺体を洗い清める湯かんは、土葬の村でも葬儀社の葬祭サービスでも、水に湯を注ぐサカサゴトで行う。葬儀社の行う湯かんは、消えゆく伝統的な弔いの風習を、新しいビジネスとして復活させたいという意図で始まったようだが、筆者の調査では、直接的には90年代初め、高齢者の入浴介護サービスをヒントに生まれた。

 

そういう事情から、葬儀社ではスタッフが遺体をバスタブに入れて洗うが、土葬の村では、遺体を納戸に運んで衝立で囲み、湯で体をぬぐうか木の盥に入れて洗う方法で、近親者が湯かんを行う。

湯かん専用の盥。遺体を座らせ、このなかで洗い清めた。

さらに時代をさかのぼると、遺体を洗い清めるだけでなく、故人の頭を剃ることもセットになって行われていた。剃髪は寺の僧が行い、故人が死後出家したことを意味した。つまりもともとは宗教儀礼だったが、だんだんその意味は薄れ、湯かんと剃髪は遺族の仕事になった。

剃髪は女性にも容赦なく行われた。そんな話が落語の「三年目」に出てくる。仲のよかった夫婦の妻が、死ぬ間際夫に幽霊になって出る約束をした。しかしなかなか出てこない。やっと出てきたのは死後3年目。湯かんの時丸坊主にされたので髪の毛が伸びるまで出るに出られなかったのだ。

「殯の森」の舞台となった土葬の村

カンヌ映画祭グランプリを受賞した映画「殯(もがり)の森」の舞台となったのが、やはり奈良盆地の東側山間部、柳生の里から南西方向にある田原地区というエリアである。ここは15の大字(おおあざ)からなる村の大部分に土葬が残っており、誰かが亡くなれば、墓地まで松明を先頭に、野辺送りの長い葬列が組まれる。

田原地区の野辺送り。白いのぼりがたなびき、棺を載せた輿車を、近親の女性が引いている。写真提供/十輪寺

松明の次は、法界弁当、または四つモチと呼ばれるものを運ぶ。「法界」は、仏法の及ぶ世界、つまり宇宙の真理を表す仏教用語で、法界弁当とは西方極楽浄土へ旅立つ道中で死者が食べる弁当のことをいう。ここでもモチは土葬の村の葬儀に重要な役割で登場し、4つのモチを前後2つの木箱に2個ずつ入れて担ぐ。

黄泉の旅路で死者の食べる弁当、四つモチを入れた木箱。

その後ろには「諸行無常」など仏教用語の書かれた4本の白いのぼりがたなびき、さらに輿車(こしぐるま)という棺を載せた台車が続く。輿車からは長い白木綿が伸び、これを近親の女性たちで引いて行く。これは善の綱という名称で、安楽往生を遂げた死者の霊の縁につながるという意味で、縁の綱とも呼ばれる。

昭和18年に作られ現存する輿車。現代でいえば霊柩車に相当する。

こうした野辺送りに必要な葬具は、ふだん十輪寺という真言宗の寺に大切に保管され、出番を待っている。野辺送りの総勢20~30人の近親者は、手作りされたそれらの葬具を持つ役を与えられる。松明や灯籠、飾り用品など葬具のいくつかは、冒頭で紹介した仮門のように、村人自身が竹細工や紙細工で、通夜、葬儀までの間に作り上げる。町の葬儀会館で葬式を出すのに比べると、はるかに手間がかかっている。

なぜ、そうまでして土葬・野辺送りにこだわるのか。

「長い間村で生きてきた人を、一瞬で送るのは私にはどうしてもなじめません。“無駄”をいっぱいして故人を送ることが供養になると思うのです」と老住職は語る。