奈良に「土葬の村」発見! なぜ、今も、村人は土葬を選ぶのか?

弔いのエスノグラフィー
高橋 繁行 プロフィール

死霊を魂送りする無言劇

柳生の里の北側、奈良県との境に接する、京都府下の南山城村(みなみやましろむら)にも、今なお土葬が残っている。南朝の後醍醐天皇が立て籠った笠置山にほど近い場所にあり、地図で確かめると、現存する土葬の村は、柳生の里から同心円状に広がっていることがよくわかる。

現存する南山城村の土葬墓地。ふだんはお参りしないので、野草が生い茂っている。

南山城村には、土葬・野辺送りにかかわる古い風習が数多く残されている。13年前、老母を亡くした男性も土葬で故人を送った。70歳代、喪主夫人である跡継ぎの嫁の不思議な証言――。

 

「みんなが野辺送り・土葬から帰ってくると、空のひしゃくで水甕の水を汲む動作をし、玄関に置いた空の盥(たらい)に、水を入れる真似をしました。これを3回繰り返しました。水汲みの儀礼と言います」

女性の所作は死者の魂とひめやかに対話しながら行う無言劇のようだ。「南山城村史」には「家の内から外へ死霊を送り出そうとする『魂送り(たまおくり)』の儀礼ではないか」と書かれている。

そのあとも無言劇は続く。

「野辺送りから帰ってきた人たちは、空の盥の中に足を交互に入れて洗うマネをします。さあ意味はわからへんけど。ただアシアライと呼んでいました」と夫人は語る。こちらは死のケガレや死霊を恐れたタタリ封じのような無言の動作である。

さらに玄関の敷居を挟んで、跡継ぎの嫁と他家へ嫁いで行った女性が後ろ向きになり、長径50センチほどの楕円の大モチを引っ張りあうという風習も残っている。よりモチをたくさん引きちぎったほうが勝ちというお葬式遊びだが、跡継ぎの嫁がたくさん分捕れるようにあらかじめモチに切れ目が入っている。

稲作文化を支えたコメ、モチは、土葬の村の古い習俗でその家の財産の象徴とみなされる。引っ張りモチ遊びはいわば八百長だが、財産争いでもめることなく家を存続させたいという思いが、ここには表れている。この願いはよほど全国で共通するものなのか、同様の風習があちこちで採録されている。

お盆の迎え日には、新しいホトケを迎える独特の精霊棚を、ヒノキの葉や竹を切ってきて作る。「精霊棚のなかには新しいホトケの位牌を供え、地面から棚まで木のはしごをかけました。なんではしごがいるかって? そらあんたホトケさんが登って来れるようにですがな」と村の住人は大真面目な顔で言う。

初盆の精霊棚。縁側の隅に作られる。

土葬の村では、死者を生きている人間同様に扱い、対話し、暮らしてきた様子が垣間見える。

お棺を割ると、髪の毛が伸びていた

「四十九日法要の朝、親族はめいめい鍬を持ち、埋葬された墓の土を掘り返していくんです。掘り進むうちに、思わぬ白骨が出てくる。目当てのお棺の主より以前に埋葬されたホトケの遺骨が2体、3体……。頭蓋骨はそっと取り出し、地面に並べ置いたものです」

と三重県伊賀上野市島ケ原(しまがはら)の村の老住職は言う。

土葬で最も凄絶なのが、この地にあった「お棺割り」という墓をあばく風習である。葬式から四十九日後、埋葬された棺桶を掘り返して割り、故人の顔を拝んだら、再び土を入れ元に戻したという。

老住職の証言を続けると、2メートルも掘ると、白い棺が穴の中に姿を現す。棺は故人を納めた後、棺蓋をくぎ打ちしている。当然、蓋は開かない。そこで親族たちは、鉈で蓋を叩き割る。そのときのカンカンカンという乾いた音は、住職の耳に今も残っている。蓋が割れると、棺の中から、まだ完全に白骨化していないホトケの顔が覗く。ひげや髪の毛が伸びていることもあるという。

顔を拝んだら、遺族たちは棺の中に土を入れ始める。棺の中の隙間が完全に土で埋まると、さらに土葬の穴全体に土を入れ、地上まで埋まると、土を踏みしめる。よけてあった石塔をその上に置く。出てきた白骨は粗末に扱えない。「これはばあさんや」と頭をなでながら、丁重に横に置きならべ、手を合わせた。

いったいなぜ、このような奇妙な風習が存在したのか。島ヶ原、とりわけ寺のある地域は土質が柔らかい。埋葬後に石塔の墓を建てても、数年もすると目に見えて墓が傾いた。埋葬した棺が朽ち、棺の中の遺体も朽ち、棺の中の空洞が押しつぶされ、その結果、墓地がへこむのだ。四十九日に墓をあばくのは、そうなるのを未然に防ぐためである。

墓地がへこむのは、土葬には多かれ少なかれつきもののことだ。ふつう古い日本の墓地は、遺体を埋葬する埋め墓と、墓参りをするお参り墓の敷地を分けている。これを両墓制という。島ヶ原は土地が狭く両墓制でなかったため、埋葬地の陥没は、先祖代々の石塔墓の倒壊につながる、重大な問題だったのである。

島ヶ原から土葬がなくなったのは、昭和50年代半ばという。同村から東西に走るJR関西本線の隣駅には、今も土葬が残る奈良市月ヶ瀬村(つきがせむら)、さらに隣の駅には、前述の南山城村がある。土葬の村が集中するエリアにありながら、比較的早めに土葬がなくなったのは、このお棺割りの風習の凄絶さゆえといっても過言ではない。