【ママ、死にたいなら死んでもいいよ 第1回】

ある日をさかいに、母親が下半身麻痺により車いす生活となった。そんな経験から、ユニバーサルデザインの会社の立ち上げに尽力し、いまもその会社「ミライロ」に勤める岸田奈美さん。

奈美さんのサポートもあり、母親の岸田ひろ実さんはいまや全国各地から講演依頼の絶えない存在となり、自らの半生を綴った著書『ママ、死にたいなら死んでもいいよ』も大きな話題になった。

娘の思いがけない言葉に救われた母。では、娘はどんな気持ちでその言葉を伝えたのか。FRaU WEBでは、娘である奈美さんの視点から、数回にわたって当時のことを振り返ってもらう。「一時間かけてブラジャーを試着したら、黄泉の国から戦士たちが戻ってきた」などの記事でいま、ライターとしても注目されている奈美さん。彼女が綴る感動の物語は、ただの感動では終わらない。

それが、母を救う唯一の言葉だった

「ママ、死にたいなら死んでもいいよ」

最愛の母に、高校2年生の私が放った言葉です。ひどい娘だと思われるかもしれません。でも、当時の私にとって、母を救う唯一の言葉でした。

話は少しさかのぼります。

私が中学2年生の時、父が突然死しました。過労による心筋梗塞でした。最期の会話すら、叶いませんでした。

建築系ベンチャー企業の経営者として活躍する父は、私にとって憧れの存在でした。
しかし、当時は反抗期のまっさかり。「うるさいなあ」「ほっといてよ」など、感情のままに父へぶつけた言葉は、数えきれません。

素直に謝れないまま、父を亡くしてしまったことを後悔しました。消化しきれない後悔は、「父みたいな経営者になる」という、漠然とした夢に変わりました。父の夢を継ぐことが、亡くなった父への償いと信じたんです。

そんな矢先です。今度は母が倒れました。高校一年生の冬のことでした。母もまた、過労でした。