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日本人の不毛な働き方を激変させる?「同時編集」を私が薦める理由

「責任の牢獄」から抜け出せ!
西川 アサキ プロフィール

そもそも、なぜ「みんな忙しい」のか

さて、コストが減るなら何も考える必要はないので、仮にコストがかなり上昇するとしてみましょう。

その場合「ただでさえ締め切りに追われていっぱいいっぱいなのに、これ以上コストが上昇するようなことができるわけないだろ!」となるでしょう。

しかし、その仕事は、はたして「必要な」仕事でしょうか? ここで冒頭の「無意味な仕事」を巡る問いが出てきます。

そもそも、生産力が飛躍的に伸びているはずなのに、なんでいつまでもみんな忙しいのでしょう?

ところで、社会的にどのぐらい無駄な仕事があるのか?という問いに、個人が答えることは、たとえどんなに賢い人であっても、「無駄」の定義が非常に難しいため、不可能に近いでしょう。

直感的に無駄な仕事が溢れかえっていたとしても、あるいは、自分がこれをこなさなければ会社が終わる!と感じていたとしても、実は無駄に感じる仕事の方が社会を廻すのに必要で、あなたが頑張っている会社はもう倒産した方がいい(にもかかわらず倒産は許されない)、というようなことがありうるからです。

恐らく、市場経済というものが優位な点はこのような判断を、賢い個人の推論ではなく、市場という集団に任せたことによって、勝手にある程度の結論が出てくるようにしたことでしょう。

ここで、同時編集のコスト増の仮定に話を戻します。

そのコスト増を許容できない理由は、

(1)どうしても減らせない仕事が実際にたくさんある
(2)どこかで中抜きしている人の分を別の人がやるのでたくさんある
(3)無意味な仕事を水増しすると利益を得られる人がいる(のでたくさんある)

……のどれなのでしょう?

もちろん、この問いにも正確な答えはありません。ですが、定義より先に、もし(2)や(3)だったら、それを減らす仕組みや制度、というものは新たに作れたりしないものなんでしょうか?

また、たとえば(3)の無意味な仕事は、「ピラミッドの建造(による公共投資=需要回復)」みたいなもので、社会を維持するのに(無駄に見えて実は)必要だ、というロジックがあるとき、「(無駄だと知って)ピラミッドを造る」以外のやり方は提案できないのでしょうか?

さらに、できればその制度が、同時編集やそれがもたらす「個人から抜け出た気分」によって後押しされるようなものであると嬉しいところです。

さて、これらの問いに答えはあるのでしょうか? それとも考えるだけ無駄なんでしょうか?

そんなことをVectionでは考えていて、その副産物かつ作業環境として同時編集は生まれました。

同時編集は、ネットに繋がる環境があれば、一応、誰でもどんな組織でも実行可能なので、ぜひ試してみてください。

実際に、会社で言い出したり、説明するのは、とても面倒でしょうけど。