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日本人の不毛な働き方を激変させる?「同時編集」を私が薦める理由

「責任の牢獄」から抜け出せ!
西川 アサキ プロフィール

同時編集はコストを減らすのか

一方、恐らく同時編集を仕事に取り入れる上で最大の障害はコストでしょう。単純に考えると、参加する人数分のコストが上乗せされてしまうように見えます。

ただし、同時に作業をしている分早く終わる、一人で行き詰まっている時間が減る、余計なコミュニケーションコストがかからない、ワイワイやっているうちになんとなく終わり仕事をする動機づけがそれほどいらない、なども考慮すると、かえって高速化する気もします

今仮に、AとBという仕事があり、それを太郎さんと花子さんの二人に割り振るとき、同時に作業すると、一人あたりの作業量が半分になるとしましょう。

この条件では、「Aの担当が太郎さん、B担当が花子さん」という分業と「Aを太郎さんと花子さんの同時編集、Bも太郎さんと花子さんの同時編集」という分業で、トータルコストは同じになります。

もちろん作業量が半分になるというのは、太郎さんと花子さんの専門性を無視していて、現実的ではありません。ただ、先に触れたような中間状態を共有しないことによるコミュニケーションコストやモチベーションのことも考えると、トータルで専門性の差を埋めるぐらいの利点があるかもしれません。

「コミュ力」は問われなくなる可能性

さらに、日本企業の求人で、いつまでたっても「コミュニケーション能力」が求められ続けるのは、パーソナリティの問題ではなく、単に仕事の分割方法によって、中間状態の文脈を共有しない率が増えてしまい、副作用で発生するコンフリクトを埋める推定能力の高い人が必要になるからだと考えてみることもできます。

コミュニケーション能力については、多くの場合、「大丈夫、気にするな」というタイプのアドバイスが書籍等で繰り返されがちです。ですが、社会や制度がそれを必要としているなら、気にするな、というアドバイスには実効性がありません。

しかし、もし、そもそも「コミュ障」を気にする必要がない仕組みが、中間状態の共有なら、実効的に「コミュ障」を気にする必要がなくなることもありえます

結局のところ、多くの組織が同時編集を試さないとそれがもたらす実際のコスト感覚は不明です。減るかもしれませんし、増えるかもしれません。未知の問題が起きるかもしれません。

ただ、同時編集の導入にはコストだけではなく、個人に対する責任の押し付け、それに起因する様々な問題にも効果を持つ可能性を考慮に入れる必要があるでしょう。