「檻の中での自由」で満足してはダメ

最近、学校のイベントに対する保護者の熱気がすごいという話もよく聞きます。文化祭も運動会も部活の試合も。わが子の晴れ姿を見たいということだとは思いますが、この現象を先生たちはどう見ているのでしょうか。

東大寺学園の沖浦徹二先生は首をかしげます。

「なかには親に来てほしくないという生徒もいますけど、数はすごく少ない。去年高3の学年主任だったので、二次試験の応援に行ったんですよ。そしたら、京大の受験にお母さんといっしょに来ている生徒がいて。それはさすがにびっくりしました。東大なら宿泊を伴うのでまだわかる気はするのですが、すぐそこの京大ですよ。『受験までかよ』とか思う。最近は入社式も親が来るって話も聞くし、そういう時代なのかなとも思うけど、久しぶりに高3を担任して衝撃的でしたね。『何が悪いんでしょう?』と言われれば、『お宅のことですからご自由に』という話になりますけれど……」

同じく東大寺の榊野数馬先生は現在のこの状況に強い危惧を示します。

「そういう子の傾向として、学校では友達が少ない。でもそれに対して本人らは残念だとか、友達つくらなあかんとかいう思いももってないんじゃないかな。親がいるっていうとこに甘えているっていうのがあって、ほかの子との接点がなくなっていっても平気だっていう。でも実際社会に出るとそういうわけにもいかないわけで。いろんな人と関わりながら仕事をしたりしてかなきゃあかんと、それができないんじゃないのかなと」

親子関係さえ良好ならば、親の管理下で好き放題できる。友達なんていなくても構わない。でもそれは、親の管理下での自由であって、本当の意味での自由ではありません。思ったことを実現しようとしたり、世界を開いていったりする自由とは対極にある自由といっていいでしょう。

いわば「与えられた自由」あるいは「見えない檻の中での自由」です。たとえは適切じゃないかもしれませんが、家の中から一歩も出ない家猫みたいな状況だということです。いわば、ストレスフリーなペットです。ペットは一生その家の中で守られて生きていきますが、子供たちはそうはいきません。東大寺学園の榊野先生は現在のこの状況に強い危惧を示します。

「私はいま中3の担任をしてますけど、学年のなかで『自由』について考えさせるのを一つテーマにしていて。もちろん縛ったりするわけでもなく、常に考えなさいっていうことをテーマにして、『自由って何だろう?』『最終的な自由って何?』ってね。答えはもちろん一人一人違うだろうけども、まさに『檻の中での自由』であってはダメなんだよっていうことだけは伝えたいと思っています。まず前提として、大人がそれを理解していないと話にならないですよね。まわりの大人がそれを理解していないために、自由を履き違えたり、自分にとって心地いいことが自由だと思ってる子たちも結構いるんじゃないかなって思ってます」
 
自由の意味を理解していない市民が多い社会では、市民が、お互いの権利を認め合うのではなく、お互いに権利を主張し合うようになります。折り合いを付けるため、どんどん法律が増えます。逆に、法律で禁止されていないことならどんなことをするのも「自由」だろうという考えが広まります。どんどん悪循環になっていきます。至るところで諍いが起こります。民主主義が機能しなくなり、いつしか社会は、強力な権力者の出現を求めるようになります。それが自分たちの自由の息の根を止めることも知らずに。

いまの世の中は、まさにそういう流れのなかにあるような気がします。その流れを止めるには、いまの子供たちが、本当の自由を理解してくれることを願うしかありません。

(注:先生方の所属先は話を伺った当時のものです)

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