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# 政治・社会

法廷は日本ムラの象徴だ! 元最高裁裁判官が語る日本人のタコツボ化

元最高裁裁判官の憂い

弁護人として必要な3つの視点

長年裁判官、学者、著者として日本の民事訴訟を実践、また研究してきた者の目からみると、日本の弁護士には、その能力にかかわらず、ある種の視野の狭さを感じる場合があるように思う。

 

その1つに、自由な「視点の移動」ができにくいということがある。この点につき、僕は、「弁護士が時にはとってみるべき3つの視点」を提示してみたい。

第1の視点は、「裁判官が事件をみる視点」である。

弁護士は、常に、裁判官の考えていることや現在の心証を知ろうと必死になっている。しかし、多くの場合、それは、「一方当事者の視点」からの推測にすぎず、「想像力を羽ばたかせて自分を裁判官の位置に置いてみた上でそこからみえる景色を検討する」というようにはなっていない。だから、憶測や誤りが多くなる。

第2の視点は、いわば、「鳥の視点」である。

これは、僕が、裁判をしながら時々とってみていた視点であり、自然科学、人文・社会科学、また文学等芸術の研究や批評においてとられる視点に近いものといってもよい。目前にある事件とこれに対する自己の利害関係をとりあえず離れ、醒めた目で、遠い距離から、訴訟とその背後にある紛争の全体を見詰めてみる。

これが、認識者の視点、比喩的にいえば、「鳥の視点」だ。裁判官が的確な事実認定を行うにも、弁護士がこれを自己に有利に導くにも、近視眼的な「虫の視点」ではない「鳥の視点」が必要だ。

最後に、第3の視点は、「相手方の視点」である。

もっとも、ここでいう、「相手方の視点から事実をみること」は、「相手方の身になって事実をみること」とは異なる。裁判官は、時には、「当事者の身になって事実をみること」が必要だが、当事者どうしの間では、そこまでのことは要求されない。

しかし、当事者も、「相手方の視点から事実をみること」は絶対に必要だ。これは、「彼(敵)を知り己を知れば百戦殆うからず」という孫子の言葉にもあるとおりである。