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アベノミクスは「信仰」に過ぎない? 日本経済の限界が近い理由

哲学者が語る現代経済のしくみ
このほど『資本主義に出口はあるか』を上梓された荒谷大輔氏。前回は、哲学の本来の役割、ロックとルソーの対立軸で歴史を読み解くアイデア、ロックとルソーの社会契約論の違いについて伺った。今回は私たちが生きるこの社会の現状分析についてさらに詳しく伺っていこう。

リベラル派の中からネオリベが!?

―― 今日は1980年代以降の状況についてお話するということでした。「ネオリベ的保守」はなぜ台頭したのでしょう。

1980年代というのはひとつの時代的な転回点だったと思います。労働者の賃金を上げることが経済成長に直結していた時代、いわゆる戦後高度経済成長が終わり、「構造改革」を行って生産性を上げていかないと経済成長が維持できないフェーズに入りました。

 

1970年代の不況に対してケインズ的な手法で乗り越えようとするリベラル派の説得力が失われていき、リベラル派の中から「ネオ・リベラリズム」と呼ばれる潮流が出てきます。リベラル派の中から、です。

なので、おっしゃるような「ネオリベ的保守」という言い方は、厳密にいうと少しミスリーディングな部分があります。「ネオ・コンサバティズム(新保守主義)」と「ネオ・リベラリズム(新自由主義)」を多少なりとも混同した言い方になるので。

現状、「ネオ・リベラリズム」という言葉は保守派の立場を示すものとして定着していますが、1980年代の文脈では民主党の一派(具体的にはビル・クリントンと大統領選を争ったポール・ソンガスら)を指して使われました。

彼らが主張した政策は現状「ネオ・リベラリズム」と呼ばれるものと変わりませんが、そうした議論が「リベラル派」から出てきていることは確認しておく必要があります。

1980年代以降、人々はリベラル派の耳障りのいい理屈を信用できなくなり、リベラル派の中でさえ経済原理主義へと立ち返る「保守的」な政策が支持されるようになっていったのです。

不満と改革のマッチポンプ

その流れが現在まで続いているというわけです。トランプ大統領の選出はその象徴といえるでしょう。経済的に貧窮する白人層が、旧来のリベラルな価値観を振り回すエリート層の理屈にウンザリし、「改革」を行ってくれそうな派手な見かけのジョーカーに支持が集まるという構図ですね。

しかし、経済的に困窮する白人層がその不満をトランプへの投票というかたちで表現して、実際に彼らが恩恵を受けられるかといえば、そうではない。保護貿易の推進や「壁」の建設など、外部を排除して感情的な不満に落としどころがついたとしても、経済的な側面ではさらに追い詰められることになります。

他方で、トランプは、ドッド・フランク法という、2008年のリーマンショックの反省を経て法制化が進められてきた金融規制を解除しようとする。「金融規制が経済成長を妨げている」という論理ですが、これは金融危機の再発を準備するものになっています。

これも富裕層向けにはありがたい政策かもしれませんが、不満をもってトランプに投票した白人貧困層にとっては、さらなる経済的な困窮を招きかねないものです。

こうして不満を解消するかのような見かけのポピュリズムがさらに不満を増長させるというマッチポンプの状況が出来上がります。それでもリベラル派は頼りにならない。そうした外側がない状況で煮詰まってきているというのが現状なのだと思います。

―― 昔の保守は、少なくともネオ・リベラリズムを無前提に信奉するような人たちではなく、建前上は自然を守るとか弱い人を守るとか、そういうことを考えていた人たちでしたが、いつからか自民党の中にも、保守を標榜しながら経済的合理主義を第一に考えていこうとする人たちが出てきた。

これは世界同時的な状況で、世界的に同じ論理が機能しているということを今回の本で示しました。アメリカとイギリスではそれが1980年代、レーガノミクスやサッチャリズムとして始まったわけですが、日本では多少遅れて(というか、バブル経済崩壊の余波の中で)2000年代に小泉改革というかたちで出てきました。

現状、左派の人たちもそれに対していろいろな動きはしていると思うのですが、経済的な現実を前に撤退戦を余儀なくされているのだと思います。