「エビデンスで殴る」というやり方は、なぜうまくいかないのか

「エビデンスに基づく医療」から考える
斎藤 清二 プロフィール

くりかえしになるが、EBMについて訓練を受けている医療者であればこのことを当然知っている。だから、エビデンスは「それを持っていれば必ず戦いに勝てる魔法の武器」にはならない。SNS上で「エビデンスで殴る」という行動は、なによりもEBMを適切に理解している医療者にとっては採用しにくい行動なのである。

エビデンスで個人の意思を完全に決定することはできない。私たちにできることは「エビデンスを利用すること」だけである。「Evidence cannot make decisions, people do(エビデンスが決めるのではない。人々が決める)」は、医療における全く正しい言明である。

 

それでも「過剰な一般化」は阻止しなければならない

それでは「できるだけ有用なエビデンス」について論じることには意味がないのだろうか? そんなことはない。個人の意思決定と集団の意思決定の両方を視野に入れた場合、最も重要なことは、「個人の経験を過剰に一般化してはならない」という原則である。

個人の経験はその人にとってはある意味絶対的なものであり、誰もそれを否定することはできない。しかし、それを一般的なものであるかのように集団にそのまま拡張しようとすることは明らかな誤りである。これについても、A氏が「私は他の人に対して、これが正しいと言っているわけではない」と述べているのは適切である。

そこで「そうは言っても、それでは社会に対して誤解を招く」と懸念する人の気持ちもわかる。しかし、それとこれとは別の問題なのである。

〔PHOTO〕iStock

ここまで説明してきたことを言い換えると、エビデンスに基づく医療=EBMとは、個人に関する意思決定に集団から得られた情報であるエビデンスをどのように利用するかという方法論であると説明できる。

その理由でEBMを前提にする限り、エビデンスを「裁きの杖」のように使って相手を殴ろうとするのは、賢い方法ではない。そこで求められるのは対話を通じてエビデンスをできる限り有効に利用しつつ最良の意思決定を目指すことである。エビデンスは「祝福の杖」のように有益な対話にコミットするための道具として用いられなければならない。

一方で、集団の意思決定の方法論は実はEBMそのものではない。これは「エビデンスに基づく政策決定=EBPM」と呼ばれている。EBPMにおけるエビデンスの使い方は必ずしも定まっておらず、まだまだ課題が多い。しかし、最も大切なことは、個人の意思決定の方法論(EBM)と集団の意思決定の方法論(EBPM)を混同してはならないということだろう。が、ここでは字数の関係から深入りはしない。