# マネジメント

男女同比率人事の「強要」が日本企業のマネジメントを破壊する可能性

社会は合コンのためにあるわけじゃない
大原 浩 プロフィール

見当違いの差別は自然に消えていく

もちろん、女性が「責任をとれない」とか「役員にふさわしくない」とかいうわけでは無く、有能な女性経営者・役員はたくさんいる。そして、彼女たちは、「女性枠」など無くても、役員や経営者になることができる。

少なくとも「自由市場」では、少々の凸凹があっても、正しい評価に落ち着く。そうすることが、だれにとっても得だからだ。

企業というのは、常に市場の中で戦い、競争力を失えば脱落するというプレッシャーにさらされている。もし、男性優位主義に凝り固まった企業があっても、その企業は「女性」という有用な資源を活用しない分だけ不利な条件で戦うのだから、長い間には淘汰されていく。

官僚・役人の世界では、実力で評価されることが少ないから、「実力主義による淘汰」が機能しないこともあるだろうが、自由市場で闘う企業に「機械的平等」を無理やり導入させるのは「百害あって一利なし」だ。

難しいのは「差別」が事実であるときである。「事実」を隠ぺいしても差別は消えない。ただ、疑いの目向けられるだけだ。この問題は、大きなテーマなのでここでは掘り下げないが、「見当違いの差別」は合理的に解消できるが「事実である差別」の解決が非常に困難であることは、注意すべきことだ。

 

弱者を食い物にすることは許されない

差別をなくすと称する規制・法律・特別措置こそが、差別を固定ブランド化している側面がある。

例えば「弱者ブローカー」と呼ぶべき人々がいる。「私たちは弱者の味方です」と言いながら、自分たちの利権を追求する人々である。

社会的弱者を救うのは当然のことであり、筆者もできることならお手伝いしたいと思う。しかし、世間で数多く見かける「弱者ブローカー」には嫌悪感さえ感じる。

小学生の頃、近所の動物園でサル山の子ザルに餌をあげようとすると、すかさずボスザルがその餌を子ザルから奪った。何回やっても同じだ。とてつもなく悲しい気分になったことを今でも覚えている。