「貧困の再発見」から10年、日本社会はどう変わったのか

複雑化する現実、今語るべき理想
大西 連, 望月 優大 プロフィール

望月:誰かを「弱者」であるとして支援の対象とすることが、そうであることを固定化する方向へと向かってしまうという問題はあります。

大西:ただ、貧困状態にない人からすると、その状況は心地良いのかもしれないですよね。お互い交わらないですむので。多くの人にとって「問題行動」と思うようなことをする人が地域からいなくなって特定の場所や施設で住むようになれば、自分の生活には関わらないし、「迷惑」もこうむらなくてすむ。見なくてすむものを見ずにすむし、知らなくてすむものを知らずにすむわけですから。

望月:「弱者」を支援のスペースに固定化することで、その外側に画一的で多様性がない状態が維持され、それが多くの人にとって安心・安全で暮らしやすい状態として受容される、と。

 

大西:もちろん、支援される本人もそのほうがいい場合があるんだけど、本当にそう思えているのかどうかは考えないといけない。いろいろ試した結果、アパート生活が無理だと納得して施設に行くならそれでいい。でも、診断名で住む場所が決められちゃったり、支援計画を立てる時に、「あと半年シェルターで頑張ってみよう」と言われたりすると、「本当はアパートがいいなあ」と思っていたとしても、その可能性は最初から消えてしまいます。

まず、チャレンジする権利があるはずなのに、それが軽視されている。これってすごく難しい話だし、伝わりにくいし、語りにくいことです。今回、自分の本を新書にして出したのも、「簡単にいかないはずだよね、ということをみんな忘れていない?」という想いがあったからなんです。

改めて「福祉国家」の話をしよう

望月:そもそも「どういう社会を目指すのか」というビジョンを描くこと自体が、今はとても難しくなっていると思います。移民・外国人の領域でも、どこでもとにかく地域の現場が大変で、足りないリソースをなんとかやりくりしてできるだけ効率的に解を出していくという必要に迫られている印象です。

その中で丁寧に、良心的にやっている方々には本当に頭が下がるのですが、そこにお金が回っていないのも、つまるところ国や社会としてのビジョンが欠落しているからだと思っています。結果として、支援される側だけでなく支援する側も含めてお金がないという状態に陥ってしまっている。

それに、一つのものに依存していると、従属することになってしまうから、依存先が分散できて、バランスが取れるようになればいいと思う。

大西:「外国人」の問題に関して言うと、僕らは今すごくビビっています。やっぱり彼らからの相談はこれからもっと増えていくと思うんです。日本で生活していくなかで、貧困になってしまう人もいるし、病気になる人もいる。

望月:外国人労働者は非正規の比率が圧倒的に高いので、すでに多くの人が貧しいというのが実態です。人口に占める割合は2%強ですが、困っている人の中での割合はそれより高いのではないかと思います。

大西:言い方が正しいかはわからないけど、生活保護って“最後の武器”なんですよ。不十分かもしれないけれど、僕たちは日々それを武器に戦っています。自分たちのリソースでは、とても4000人もの相談を受けられないし、3000世帯の保証人もできない。生活保護があることで、はじめて戦える。

それが外国人の相談になると、武器がなくなってしまうんです。もちろん、外国人でも永住者など一定の条件のもとに行政上の措置として生活保護に準じた支援を利用することができる人もいます。しかし、まだまだそれは限定的で、生活保護を利用できない外国人の人で生活に困ってしまったとして、どうやって支援するのか、ということになります。

シェルターを無料で借りるとしても、「誰がそのお金を払うの?」となるわけです。公的な仕組みの重要さを、僕たちはまざまざと感じていて、最後の武器がないなかでどう相談を受ければ良いのかを考えないといけない。とても怖いことです。

望月:誰でも生まれた時点ではその後自分の人生に何が起こってどうなるかは全くわからない、つまり色々なリスクを背負っています。そういう一人ひとりの個人が抱えるリスクを社会的に共有してできるだけ小さくするというのが、社会や国家が存在する大きな意味の一つです。

こうした社会的なリスク共有の仕組みは、自分自身で市場で稼ぐ力、そして何かあったときに支えてくれる家族や友人の存在などと並んで、個人が厳しい状況に陥ることを防ぐための武器として機能します。武器はたくさんあったほうがいいし、一つひとつの武器の力は大きい方がいい。そして今起きていることは、多くの人が持つこの武器の数や力が減っているということではないでしょうか。

弱い武器しか持っていないということは交渉力が低い状態にあることを意味します。後ろ盾が弱いので、本当は選びたくない選択肢も選ぶしかなくなってしまう。それが、例えば「低賃金でも、きつい労働環境でも、“自発的に”働く」というような形で一人ひとりの人生の中に現れてきます。でも、それは本当に「自由」な選択と言えるのか。外国人労働者の貧困も女性やシングルマザーの貧困も構造的に同じところがある。

今こそ大きなビジョンとして「一人ひとりのリスクを下げる社会」ということが大事だと思うんです。福祉国家、つまりウェルフェア・ステイトという理念があるじゃないですか。英語の「ウェルフェア」は「福祉」と訳されますが、言葉の意味としては「いい感じになんとかやっていく」ということなんですよね。

生まれの差があっても、人生の場面場面で交渉力になるような力をそれぞれにできるだけ万遍なく与えるような社会をつくれないか。今の社会では生きていく上でのリスクが高まっていて「いい感じになんとかやっていく」ことがどんどん難しくなっているように思う。そういう社会を次の世代に残したくはないです。