2019.09.09
# 働き方 # 化粧品

「自分の枠は、決めない」私が派遣社員からディセンシア社長になれた理由

ポーラHD子会社社長、異色のキャリア
マネー現代編集部 プロフィール

訪れた転機

仕事はやりがいがあって楽しかったが、その中で浮き沈みもあり、身も心もボロボロになった時期があったという。

「ビジネスパートナーを巻き込んで、多大なお金と時間を使って船を出航させたのに、私は安定航海させることができない、社内のコンセンサスを取る力さえない。すごく無力感を感じました。そうした中、会議中に人の声は聞こえるのに、言葉が頭に入ってこない体験を初めてしました」

仕事が溢れて、夜10時から深夜の2時までミーティングする生活を普通にこなしているときだった。

眠れない、動悸がするという症状もあり、大学で心理学を専攻していた山下さんは、「これは絶対に心療内科に行くべきだとわかった」という。

 

「ただ、一時的なものと診断されたので、一旦仕事と物理的な距離を置こうと、1週間休んで実家に帰りました。そこでいろいろ頭や気持ちの整理をつけて、まぁ、いつでも辞めればいいや、という気持ちになって戻ってきてからは、そんなに自分を追い詰めることもしなくなりましたね」

山下さんが休養を取ったタイミングは、図らずもちょうど仕事の転機になったようだ。

会社に戻ると、ポーラからディセンシアに出向してきた小林琢磨氏(現オルビス株式会社 代表取締役社長)が上司になった。

「彼が来たとき、ディセンシアにマーケティング戦略を初めて持ち込んでくれたんです。われわれの市場における差別化ポイントはどこで、ターゲットはどこなのか。そうしたことをすごくクリアに導いてくれて、それから先、私はまったく仕事で苦しいと思ったことがありません」

その後山下さんは、CRM (カスタマー リレーションシップ マネジメント)に専念することになる。

リピート顧客との関係性をマネジメントし、ブランドコミュニケーションや販売促進を最適化するマーケティングの仕事だ。

「顧客データを分析して、お客様の行動を明らかにしていく分析的な手法を強みにしていました。ただ、初めて携わる分野ということもあり、専門用語一つをとっても、理解できないことがたくさんありました。そういう時は、わからないから教えてほしいと言って、当時コンサルに入っていた方にわかるまで根気強く付き合っていただきました。わかったふりをして仕事をすることだけは、絶対に避けたかったんです。他の人ができているのに私にできない、というのはやっぱり悔しいですしね

そして、事業の売り上げをどんどん伸ばしていった。

反骨心というのは、やはり山下さんのキャリアには欠かせないキーワードのようだ。

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