興奮できる仕事との出合い
派遣社員を続けながらひたすら画を描く日々だったが、2年ほど経った頃、クリエイティブの初期衝動もだんだんと収まってきた。
この間、派遣社員として勤めた2つの会社からは正社員の打診を受けたが、いずれも断った。
「派遣先はどちらもいい会社でしたが、あくまで絵を描き続けるために食い扶持を確保する手段でした。でも、2年間絵を描き続けてみて、コンペに応募してもなかなか通らないし、もっとすごい人が世の中にはたくさんいることに気づき始めたんです」
そこで、再び就職活動を始めた山下さん。
中国語に絡むスキルが評価され、誰もが知る大手企業数社から内定を得ることになった。普通ならここで、栄転とばかりに就職先を決めそうなものだが、山下さんは一筋縄ではいかない。
「自分でも内定が取れるんだと、自信にはつながったんです。でもここで、モラトリアムが発動しました。一旦、人生をリセットしたいということで、内定を辞退したんです。そうすると、3か月くらい食べ繋がなきゃいけない。それでもう一度派遣会社に行って、短期の仕事を紹介してもらうことになりました」
何とも自分に正直だ。
ただ、結局この選択が、山下さんとディセンシアを引き合わせることになった。
「立ち上がり間もない会社で、事業を立ち上げた経験があるのは、私を含めて1人もいませんでした。だから派遣社員の私にも、意思決定させてくれる土俵があったのは、とてもありがたいことでした。メンバーたった4人の一つひとつの意思決定が、マーケットに出てお客様にダイレクトに届くんです。この一連のプロセスは、もしかして壮大なクリエイティブなんじゃないかと感じて、当時すごく興奮したことを覚えています」
「逆に言うと、いばらの道でもありました。コストや納期、リソースに限りがある中で、しかも正解のない中で、山下さん決めてください、と常に決断を迫られるわけです。いいのか悪いのか分からなくて議題を社内に持ち帰ると、みんなもまだリテラシーがないので、僕は嫌い、私は好き、といった主観のぶつかり合いになってくる。そうすると、だんだん自分がどこを向いて走っているのか分からなくなってくるんですよね」