2019.09.09
# 化粧品 # 働き方

「自分の枠は、決めない」私が派遣社員からディセンシア社長になれた理由

ポーラHD子会社社長、異色のキャリア
マネー現代編集部 プロフィール

自分はこのまま一生チケットを売るのかな?

そもそも、大学卒業後はすぐに就職するわけでもなく、中国へ語学留学している。

「やりたい仕事が特になかったんです。とにかく若いうちにもっと視野を広げたい、という理由だけで語学留学しました。

学校は、友人の娘さんが通っている、という理由で親が薦めてくれた北京清華大学を選んだわけですが、行ってみるとすごく優秀な学生が世界中から集まる場所でした。すでに職に就いていたり、国の仕事に携わって国費で来ている学生も多くて、いろんなテーマをしっかり持って生きている。彼らとの交流に刺激を受ける中で、まずは一旦帰国してちゃんと就職してみよう、と初めて思えたんです」

だが、山下さんが帰ってきたのは就職氷河期まっただ中だった。

 

「新卒でもなく、職歴もない私の就職口は、一切ありませんでした。そういう人間に対して、世の中というのはこんなにも冷たいものなのかと現実を知りましたね」

といっても、そんなことでへこたれる山下さんではなかった。

「人がよくやる王道や予定調和を、どうしてもくずしたくなってしまう」という反骨心の強い山下さん。

思えば、人が選ぶ道とは異なる道を常に選んできた。それが自分だと気を取り直して、当時やっとダイヤル回線でつながりだしたインターネットで、就職先を探すことにした。

「大学では心理学を専攻していたので、『心理学』や『中国語』のキーワードでヒットする職種を探していたら、旅行業界に行きつきました。それでたまたまHISの中途採用の募集があったのでエントリーしてみると、数日後に電話があって、面接を受けて内定をもらいました」

こうして山下さんは、2000年12月からHISの契約社員として社会人キャリアをスタートすることになった。

配属先は、東京在住の外国人をターゲットにした専門セクションだ。

「成果が出せてすごく自信になったし、お客様とのコミュニケーションや交流そのものにも、自分がそこにいる意味が見出せました。中国語を話す日本人というマイノリティの立場でスタートしたキャリアは、トータルではすごくよかったんです。ただ、このまま一生チケットを売るのかなと人生を考えたとき、突然自分の中に湧くイメージを留めたいという衝動に駆られて、絵を描き始めた時期がありました」

深夜まで仕事をしたあと、朝4時まで絵を描いて、9時にそのまま出社する。

そうした生活を1ヵ月ほど続けたあと、山下さんは「私、絵を描いて生きていきます」とセンセーショナルな宣言をして、HISを辞めた。

そして、派遣社員をしながら絵を描く生活に突入していった。

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