右・左はもういらない…ルソーとロックで理解する社会の本当の姿

哲学者が語る近代のしくみ
荒谷 大輔 プロフィール

そのためにルソーはまず、「まずみんな自分のもっている財産を投げ出せ!」というところから社会契約を始めます。社会契約に参加するにあたって、人々はみな平等でなければならない。そのためにも、まず全員が自分の全財産を共同体の広場に投げ出せ、というわけですね。

 

ただ、私的所有をまったく認めないわけではありません。ルソーは、共同体の成員の間で「一般意志」と呼ばれるものの共有ができたならば、最初に投げ出された財産は元どおりに戻していいと議論を展開します。それがルソーの微妙なところで、マルクス的に本当に全部共有財産にしろというのではなく、大切なのは一度放棄するという気持ちだというわけですね。

一度全部投げ出された後、共同体の一般意志を自分自身の意志とする、ということを条件に、自分が投げ出したものが戻ってきます。この間、財産量という点では、プラスマイナス・ゼロで何も変わっていません。実は厳密にいうと、戻ってくるのは「税金」に当たるものを引かれたものなのですが。

しかし、一般意志を自分の意志とすることで、みな共同体全体のことをみな考えるようになっているはずなわけですから、共同体のために戻される財産が幾分か減ることは承認済みということになるのでした。理論上、各人が自分自身の意志(=一般意志)に基づいて行うことなので、誰かが勝手にとるものではない。

こうしてルソーは、みなが社会全体のことを考えながら必要に応じて、財産の再配分を行う社会を考えることで、ロック的な不平等社会を乗り越えられると考えたのでした。

ロック的な社会の場合は私的所有が絶対なので、「オレはやだ、だってオレの金だから」といわれれば、それ以上の私的所有権の侵害は認められません。ルソーの社会契約の発想があって初めて、「みんな一緒で暮らしているのだから、あなたも出さないと」ということがいえる社会になるのです。

一般意志が全体主義につながる?

—— 一般意志というのは、わかりやすくいえば、小学校の学級会のようなもので、「決まったことには従いましょう」という理解でよいでしょうか?

そうですね。まさに学級会と同じ仕組みですが、一般意志は投票によって決定するといわれます。そうやって決まったことが「一般意志」=各人の意志ということになって、それに反対することは基本的に許されません。

自分は反対に投じたといっても、決まったことは決まったことで、それを自分自身の意志にしなければならないという条件で社会を作っていることになっているのでした。

ここにルソー的な社会の融通の効かなさが出てきます。「みんなで決めたことが絶対」ということになると、ロック的な意味での個々人の自由は著しく制限されてしまうのです。

実際ルソーの議論は、特定の理路を辿ると「全体主義」に陥る危険をもつものになっていきます。ロック的な社会を乗り越えようとする試みが「全体主義」へ至って悲劇を生むということを、近代の歴史は何度となく繰り返しているのですね。

つまり、ロックとルソーの対立は、第二次世界大戦時のファシズムや高度経済成長期、今日のネオリベラリズムの台頭に至るまで、近現代の歴史をずっと貫いている軸となっているのです。

私たちが生きるネオリベ一強の資本主義社会。なぜ、歴史はそうでなければならなかったのか。今後、別の道を辿ることはありえないのか――荒谷氏による現状分析と未来予測は近日公開予定です。